2013/02/20

日々の風景 -短歌教室(添削)(2013.2.20)

先週の金曜日、2月15日に浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第21回目の短歌教室があった。


今回は昨年の二月に亡くなった家内についての歌であった。


(1) おかさんありがとうとの幼子(おさなご)の手紙を見つつ二人をしのぶ

「二人をしのぶ」とあるが、パッと読んだ時にこの二人が誰のことを言っているのか分からない。
こういう歌は二首に分けたほうがよい。 また、「幼子」にはふり仮名は不要

→ → → → 母の日に母への感謝書きし手紙残れどその子もその母もなく
→ → → → 「おかあさんありがとう」と書きある今は亡き子の手紙読みつつ亡き母も思う

→ → → → 今は亡き幼子が「おかあさんありがとう」母の日に書きし手紙出で来ぬ




(2) 亡き妻が使いしと同じ茶碗柄ふと見かけしを求め帰りぬ

「求め帰りぬ」では説明的。 ここは「求めて帰る」とすべき。

→ → → → 亡き妻が昔使いしと同じ茶碗何か懐かしく求めて帰る

→ → → → 亡き妻が好きなりし柄の湯飲み茶わん町に見かけて求めて帰る


(3) 立春はまためぐり来るかの朝(あした)待ちかねしごと妻は逝きたり

何を言わんとしているのかよく分からない。 また、今は朝のことを「あした」などと言わない。「あさ」でいいのではないか。 できるだけ、普通の言葉で詠むことを心がけること。
→ → → → 立春の朝に逝きにしわが妻のあすは一周忌の祥月(しょうつき)命日


先生から下記コメントあり
  『 言い古された言葉ではなく、自分の言葉で心をこめて詠むこと 』

同じ教室の方の歌で自分の印象に残ったものを以下に示します。

Kaさんの歌
「 暮れてなほ雪降りしきる工事場に作業の人の黒き影あり 」
先生 : どんな工事場で何の作業をしているのか不明
→ → → → 降る雪のしだいに量を増しこしが工場の明かりいまだつきおり

→ → → → 降る雪の止まざるままに暮れこしが工場の明かりいまだつきおり

ここで、先生の過去の歌の紹介があった。
  「 工事場に今は静まれるトロッコが異様な重量感を持ちて暮れゆく 」
  「 ニコヨンはカーキ色の服を着てみな背の低し土を掘る人 」

Koさんの歌
「 夜半すぎの無言電話に目が冴えてみぞれの重たく降るを聞きいる 」
先生 : 「無言電話」だけで重いテーマとなる。 また、「みぞれ」というのがどうして分かったのか。 窓の外をのぞかなければ、雨かもしれないし雪かまたは「あられ」かもしれない。
→ → → → 窓に降るみぞれ見ており夜半すぎの無言電話聞いてしばらく
→ → → → 夜半すぎの無言電話聞いてしばら目が冴えて窓に降るみぞれ見ており





2013.2.20
   Yukikaze





日々の風景 -短歌教室(提出)(2013.2.13)

2月15日の短歌教室用として下記の3首を提出した。



(1) おかさんありがとうとの幼子(おさなご)の手紙を見つつ二人をしのぶ

  一昨年の12月に亡くなった二男が、幼稚園の時にこれも昨年の2月に亡くなった妻、すなわち自分の母親あてに書いた手紙がある。日付がないので詳しくはわからないが、多分母の日か妻の誕生日に幼稚園で書かされたものだと思うが、「おかあさんありがとう」の幼い字が読める。その手紙を見ながら二人の思い出に浸ったものである。実を言うと、文字が書かれたのは手紙ではなく、小さな「手鏡」であった。「手紙」よりも幼い字が書かれた「手鏡」のほうが趣がありそうであり、「手鏡」を主題にして二首にしたいとも思っていろいろひねくりまわしたが、うまくゆかず結局、「手紙」の一首にしてしまった。あらためて、「手鏡」に挑戦してみたい。






(2) 亡き妻が使いしと同じ茶碗柄ふと見かけしを求め帰りぬ

  亡くなった妻が最後まで使っていた茶碗は、多分遺品整理の時に捨ててしまったものと思うが、その柄はかなりポピュラーなものでよく覚えている。町の茶碗屋さんで同じ柄のものをふと見かけたので、懐かしさのあまり買ってしまった。



 
 
  (3) 立春はまためぐり来るかの朝(あした)待ちかねしごと妻は逝きたり  
  正直に言うと、亡くなった妻の命日は、2月5日すなわち立春(2月4日)の翌日である。立春の翌日として詠むことも可能かもしれないが、ややこしくなりそうなので申し訳ないが立春に亡くなったことにしてしまった。
 

 
 
 
 
 
 
   
                  2013.2.13
    Yukikaze
 
 
    

2013/02/08

日々の風景 -短歌教室(添削)(2013.2.8)

先週の金曜日、2月1日に浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第20回目の短歌教室があった。
  今回は、三首とも猫をテーマにした歌を詠んでみた。


(1) 正体もなく眠りいる家猫は知らざる恋の夢を見るらん
  
  先生曰く、「どこでどんな風にして寝ているのかその場面が分からない。また、恋の夢というよりは、むしろ母の夢としたほうが暖かい感じがでていいのではないか」 と。
 → → → → 縁側の陽だまりに身を延べ眠りいるわが猫恋の夢でも見るか
 
 → → → → 縁側の陽だまりに身を延べ眠りいるわが猫母の夢でも見るか



(2) 悠然と前を横切る野良猫にその前世を聞きてみたしも
  
  これもその場面が見えない。

 → → → → 野良猫が悠然とわが前横切りて前世はいかなるものにありしか



(3) そこまでも身構えずとも良かりしに猫は半身にわれをにらめり
   
  これもその場面が見えない。「そこまでも」とあるが、どこまでかが分からない。

  → → → → 野良猫が半身にわれをにらみおりそこまで身構えずともよしと思うに


2013.2.8
  Yukikaze