2012/10/22

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.10.17)

10月19日の短歌教室用として下記の3首を提出した。

(1) 古きよき時代のありき「酋長の娘」という歌聞くにつけても

 昭和のはじめごろの歌に「酋長の娘」というのがある。日本の演歌師である石田一松(1902-1956年)作詞・作曲・歌唱による歌謡曲であって、1930(昭和5)年8月発売。前年創立されたポリドール最初のヒット曲だそうである。

わたしのラバさん 酋長の娘

色は黒いが 南洋じゃ美人

赤道直下 マーシャル群島
ヤシの木陰で テクテク踊る

以下略

この歌は今から見ると、差別的な表現がある、云々の批判もあるようだが、ゆったりとスローテンポで歌っていると、本当に「古きよき時代」という感じが伝わってくる。大変好きな歌です。

マーシャル群島の浜辺
マイシャル群島の環礁


やしの木陰で踊る
 
酋長の娘















(2)母の手に果てしおみな子の悲しみをわがことのごとかなしみ嘆く  

 昨今、親が子を殺したりその逆のニュースが毎日のように新聞をにぎわしている。このようなことは何も今に始まったことではなくずっと昔からあったそうではあるが、それにしても、親しか頼る者のいないいたいけない実の子をゴルフバットで殴り殺すとは信じられなくやりきれない思いである。

母子群像
親子藤

(3)昨夜また逝きし息子が夢に顕つ暗き黄泉路を行きなずむらし

 亡くなった次男の写真を見て次男を思い出すたびに、このような思いにかられる。

サシバの渡り



2012.10.22
 Yukikaze

2012/10/10

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.10.10)

先週の金曜日10月5日(金)、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第12回目の短歌教室があった。


(1) 「喜びも悲しみも幾歳月」を少年の日にときめきて見き

杜澤先生曰く

1.「喜びも悲しみも幾歳月」では映画かどうかわからない
2.この映画は、人生の苦節・哀歓を描いたものであって、少年がときめきて見る様なものではないと思う
3.「喜びも悲しみも幾歳月」を読み込むのは長すぎて無理がある。「灯台守の映画」でわかるのではないか

→ → → 灯台守の映画見てより灯台守にならんとあこがれし少年の日よ


(2) 「故郷の空」ハーモニカで吹けばうぶすなを小高き岡よりみはらすごとし

1.今は、 「故郷の空」といっても分からない人も多いのではないか。「故郷」や「旅愁」
  と混同する人も多いかもしれない。
2.「うぶすな」といっても、読む人にはどこだか分からない。
 
→ → → ハーモニカで「故郷の空」を吹きながらはるか九州の秋空おもう


(3) デコイチが急坂あえぎ登りくるを粛然として肥薩線に見し


1.「デコイチ」ではなく「デゴイチ」が正しい
2.「デコイチ」では分からない人が多いのではないか。 D51と書いて、「デコイチ」とふり仮名をつけるのがいいし、出来れば「機関車D51」と書けばなおいい。
3.喘ぎながら登ってくるのを「粛然と」見るものか。
4.肥薩線というのは不要
→ → → D51(デゴイチ)が山坂勇ましく登りくる姿にあこがれきわが少年期

5.「あこがれき」であって「あこがれし」ではない。いったんここで切れる。



今回の先生の添削には素直にうなずけないこともあった。
1.別に「うぶすな」の所在地を明示しなくてもいいのではないかと思う
2.「うぶすな全体を見はらしているような感じがする」というのを詠んだつもりだが、添削ではその感じがまったく出ていない
3.私がパソコンで検索した時は「デゴイチ」ではなく「デコイチ」が正となっていた。
4.あえぎながら肥薩線の急坂を登ってくるデコイチを見た時粛然とした気持ちになった、というのがこの歌の趣旨であるが、添削ではその感じが亡くなっている。


10月10日
  Yukikaze


2012/10/05

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.10.3)

10月5日の短歌教室用として下記の3首を提出した。


(1) 「喜びも悲しみも幾歳月」を少年の日にときめきて見き


映画のポスター
銅像





記念碑の歌詞

塩谷埼灯台
足摺岬灯台










大瀬崎灯台その1

大瀬崎灯台その2











(2) 「故郷の空」ハーモニカで吹けばうぶすなを小高き岡よりみはらすごとし

故郷を見はらす岡でハーモニカを吹く
「故郷の空」の歌詞








     


(3) デコイチが急坂あえぎ登りくるを粛然として肥薩線に見し

デコイチ(D51蒸気機関車)その1
 
デコイチ(D51蒸気機関車)その2
 

2012.10.5
    Yukikaze



2012/10/01

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.10.1)

先週の金曜日9月28日(金)、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第11回目の短歌教室があった。

(1) 美しき一本勝ちにこだわりし日本柔道ガラパゴス化す

杜澤先生の添削は、
→ → → 一本勝ちにこだわり来る日本柔道我武者羅流と堕してしまえり

どうも先生は「ガラパゴス化」の意味を反対に取っているようにお見受けした。

(2) オリンピック選手は誰もが一様に「みんなのおかげ」判おすごとし
先生の指摘は、(1)これではどこの国の選手かわからない (2)すべての選手ということではなく、メダリストではないか (3)ある一つの所も国着眼して詠むのがいいのではないか  (4)メダリストの謙虚さ、丁寧さを詠みこむのがいいのではないか
ということで添削をしてもらえなかった。

(3) 優勝を巨人が決めし翌週はアンチ巨人のわれはスランプ
 「翌週」という表現がよくない
→ → → ジャイアンツが優勝決めてより後はアンチ巨人のわれは全てがスランプ


2012.10.1
  Yukikaze

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.10.1)

9月28日の短歌教室用として下記の3首を提出した。


(1) 美しき一本勝ちにこだわりし日本柔道ガラパゴス化す。
 今回のロンドンオリンピックにおける日本柔道の成績は芳しくなかった。いろいろ言われているが、柔道というスポーツそのものが発祥は日本であるが、いまや世界共通のスポーツになっており、その認識が日本の柔道界に足りず、「柔道はこうあるべきだ」という唯我独尊的な発想があったのではないか。日本の携帯電話の「ガラパゴス化」ということがよく言われるが、柔道も全く同じ様に思える。 

一本勝ち

(2) オリンピック選手は誰もが一様に「みんなのおかげ」判おすごとし
 ロンドンオリンピックの日本選手はインタビューにたいしてほとんど全員が「みんなのおかげ」的な発言をしていた。


 
 
 
(3) 優勝を巨人が決めし翌週はアンチ巨人のわれはスランプ
 
 巨人の原監督は、私の生まれ故郷である福岡県大牟田市の出身であるが、私はもともとアンチ巨人である。もう半世紀も前の大学生のころだと思うが、「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉がはやった。小学生ぐらいの子供が好きなものをごろよくならべたものであるが、「子供と一緒にされてたまるか」という思いがあったのと、周りが、とくに東京に出てきてからは猫も杓子も「巨人、巨人」で「巨人ファンにあらざるものは人にあらず」的な雰囲気に反発した面もある。

平成24年巨人リーグ優勝
 
2012.10.1
  Yukikaze