2013/01/30

日々の風景 -短歌教室(提出)(2013.1.30)

2月1日の短歌教室用として下記の3首を提出した。

今回は、猫について私がいつも感じていることを詠んでみた。



(1) 正体もなく眠りいる家猫は知らざる恋の夢を見るらん
  
  最近は猫を放し飼いにするのは、「非常識」との認識が広がっているようであるが、一昔前は、犬はつないで飼うが猫は放し飼いで飼うのが普通であった。50年前、私が大学に入るまで住んでいた家でも犬と猫をずっと飼っていたが、犬は庭につながれていたが、猫は自由に家の内外を気ままに歩き回り、多分自分の縄張りを持っていたのであろうが、トカゲなど変なものを家に持ち込んだり、外でけんかもするし、二、三日帰ってこないこともよくあった。猫は自由な生き物であって束縛を嫌うので、そうするものだ、そうしなければならないものだと私はつい最近まで信じていたのであるが、どうもそうではないらしい。家の中で自由に走り回らせておけば、それで十分でありかえって外なんかには出さないほうがいいらしい。外に出すと、他の猫とのトラブルでけがをしたり変な病気をもらってきたり、また交通事故にあったりとなかなか大変らしい。そういうことで、最近の家猫は去勢をして、一生家の中で飼うのが常識らしい。そうなってくると、春の風物詩でもあり、春の季語にもなっている「猫の恋」も見られなくなる。猫も「生き物」であるから、当然発情期もあるはずであるが、それを人為的に奪って家の中に閉じ込めて、人間のいわゆるペットとしてだけの生き物にしてしまうのは、人間の傲慢さが垣間見えて可愛そうな気がする。私の長年の夢は、人家もほとんどない雑木林の中に一軒家を立てて、放し飼いの猫と暮らすことであるが、今となっては贅沢な望みのようだ。















(2) 悠然と前を横切る野良猫にその前世を聞きてみたしも

  猫ほど偉そうに歩く動物を私は知らない。どうしてあんなに偉そうに歩くのか、一度猫本人(本猫)に聞いてみたいといつも思っている。そのくせ、猫は「変わり身」も速く、上記のように正体なく眠りこけたり、ゴロゴロと甘えてきたり、また縄張り争いなのか、メスの奪い合いか「壮絶」なケンカもするし、一方で自分が不利と見たら逃げ足も速い。そのような、ところが、愛される理由の一つなのかもしれない。 





(3) そこまでも身構えずとも良かりしに猫は半身にわれをにらめり

  猫が日向ぼっこを見るのを見かけると、私はときどき手招きをして呼びよせようとする。10匹のうち1っ匹ぐらいは寄ってくるが、残りの三分の一は逃げ去り、三分の一は無視、三分の一は上記のように半身になって身構える。猫にもいろいろの性格があるようだ。













2013.1.30
  Yukikaze


2013/01/23

日々の風景 -短歌教室(添削)(2013.1.23)

先週の金曜日、1月18日に浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第19回目の短歌教室があった。


(1) 幕末の奔流に抗(あら)がい生き抜ける斉藤一(さいとうはじめ)という人ありき

・ 斎藤一とは何者か → → → 新選組の3番隊組長で、池田屋騒動や戊辰戦争に参加し、最後
 まで生き抜き大正4年に亡くなった人です。
・ それなら、「新撰組」という言葉を入れないとわからない。
・ 幕末とか奔流などという言葉は、「俗っぽい」。なるべく使わないようにすること。
・ どうやって生き抜いたのか、に焦点を当てて読むこと
 → → → 新選組の斎藤一という組長幕末の奔流に抗い生きぬ抜く


(2) 大叔父(おおおじ)と叔父(しゅくふ)の果てし厳寒の「異国の丘」に祖母の文読む
・ このままでは、どういう時代背景かわからない。たとえば、シベリア抑留とか。
・ 大叔父か叔父のどちらかに絞ったほうがよい

 → → → 大叔父(おおおじ)も叔父(しゅくふ)も果てし厳寒の「異国の丘」に祖母の文読む

 → → → シベリヤに抑留されし叔父(しゅくふ)も果てし厳寒の「異国の丘」に祖母の文読む



(3) 西の空赤く染まりし冬雲を見つつも思う最晩年を

 → → → 西空に赤く染まれる冬の雲眺めつつ思えり我の晩年


私の歌ではないが、Yさんの歌を紹介します。

・ 志(こころざし)半ばのように半開のままに侘助ひっそり落ちぬ

 → → → 志半ばに旅立つ人に似て侘助は半開のままに散りゆく


今回の私の歌は、少々推敲が足りなかったように思う。次回の反省材料としたい。


2013.1.23
    Yukikaze


2013/01/16

日々の風景 -短歌教室(提出)(2013.1.16)


1月18日の短歌教室用として下記の3首を提出した。



(1) 幕末の奔流に抗(あら)がい生き抜ける斉藤一(さいとうはじめ)という人ありき

  新選組の中では、この歌の「斎藤一」が一番好感が持てる。とにかく、あの幕末・維新の激動の中、それも新選組という最も命の危険な集団に属し、三番隊組長として池田屋騒動や戊辰戦争など数々の修羅場を切り抜けた歴戦の剣士で、維新後は黙々として警察官や剣術指南を務めたけれども、新選組については多くを語らず大正4年に没した。同じように、幕末を生き抜けた隊士に同じく大正4年に没した二番隊組長の永倉新八がいるが、こちらは、どちらかというと維新後は新選組の顕彰に努めたという意味でかなり露出度が高い。斎藤一は新選組の中では、屈指の剣腕の持ち主で、一説によると一番の使い手だったという事であるが、永倉新八が一番、沖田総司が二番、斎藤一は三番だった、という説もある。




















(2) 大叔父(おおおじ)と叔父(しゅくふ)の果てし厳寒の「異国の丘」に祖母の文読む

  自分の弟と息子がシベリア抑留の末亡くなった祖母の悲しみはいかばかりであったろうか。祖母はすでに亡くなったが、そのことについては何も口にしなかった。しかし、胸の中には痛恨の思いがあったに違いない。祖母とは、私の母の母である。




(3) 西の空赤く染まりし冬雲を見つつも思う最晩年を

  「最晩年」とは、一生の終わりごろを示し、晩年のなかでも特に終末に近い時期、死ぬ前数年を指すことが多いらしい。もちろん、自分にとってそんな事はわからないのであるが、真っ赤に染まった冬雲を見ていると、晩年意識、というよりもこれから迎えるであろう「最晩年」の事が否が応でも湧き上がり、浮かんできた、ということを詠んでみたまでである。





2013.1.16
 Yukikaze

2013/01/13

読書のしおり(その22)  『3日もあれば海外旅行』

読書のしおり(その22) 

   『 3日もあれば海外旅行 』  吉田友和  光文社新書 614

  毎日が日曜日の身としては、国内の温泉旅行などもいいがたまには海外、という言葉が頭をかすめた。海外は、現役時代に出張でアメリカにはずいぶん行ったが、ヨーロッパは一度だけ、それもノルウエーの極北部というあまりメジャーではないところだったし、アジアを含めそのほかの地域にはいたことがない。そう思いながら本屋さんに行ったらこのタイトルが目に入った。




  この著者は、「週末海外」というライフスタイルを提唱し2005年にデビューした旅行作家である。さっそく買ってきて読み始めたが、結構面白くて一気に読んでしまい、自分でも週末旅行に行けそうな気になってきたから不思議だ。本書には週末の2日、3日を利用しての海外、特に東南アジアへの旅行のノウハウや裏技がいろいろと書かれてあり、私は何も週末の2日、3日に限定する必要はないのだが、大いに参考になった。




たとえば、下記に示す「日本からLCCで行ける海外の都市」なんていうのは、聞いてはいたが、改めてまとめて示されるとよく理解できる。





また、メタサーチと呼ばれる「横断型検索サイト」の存在も初めて知った。代表的なものは、「スカイスキャナー」というサイトだそうで、これはLCCも含めて、1000社を超える航空会社の何百万ものフライトを一括して検索できるものであり、ここで検索すれば、予約機能はないが、たいていの航空券は見つかる、というから便利なサイトだ。予約サイトは予約サイトでまた別にたくさんあって、著者お勧めのサイトを下記に示す。





本書には、旅の組み立て方、世界一周航空券の紹介、マイレージ・サービスの賢い付き合い方、ホテルやデジタル機器の活用方法に関するノウハウなどなど、海外旅行に関する有用な情報が記載されており、その方面に興味を持っておられる方は、ぜひ一読をお勧めします。






ただ、記載が東南アジアに片寄っており、たとえばインドやオーストラリアや中近東などへの言及が無く、少々残念な気がした。これは、週末の3日で行って帰ってくることが出来るところという、本書の趣旨からは難しいのかもしれないが、ヨーロッパやアメリカの例も少しではあるが載せられており、何とかならないものかと思った次第である。

2013.1.12
    Yukikaze



2013/01/12

読書のしおり(その21)  『 反哲学入門 』



読書のしおり(その21)

『 反哲学入門 』  木田元著   新潮文庫(き 33 1)  





  








  こういう題名の本は、なかなか近寄りがたい感じがするものだが、本書はギリシャのヘラクレイトスから始まってソクラテス、プラトン、アリストテレス、中世の神学者の何人か、デカルト、カント、ヘーゲル、ニーチェ、ハイディガーの系譜をたどりながら、日本も含めた世界的な視野でみるとプラトンからヘーゲルまでの哲学者が説いている「哲学」がいかに特殊なものであるか、それ(プラトンからヘーゲルまでの哲学者が説く「哲学」)をベースにした西洋という文化圏の特殊さというものを分かりやすく解説したものである。


ソクラテス
プラトン

  
 










  自然というものに向き合った場合に、この世界の「存在」というものを、「あくまでもそうなっているもの」、「生きて生成するもの」とみるか、それを「誰かの意思(超自然的価値)によって作られたもの」、したがってそれは「認識や制作のための死せる対象や材料」としてみるかによって、その見方も決定的に変わることになる。ソクラテス以前の「思索者たち」による「思索」から、ソクラテス以降の「それ(存在)はなんであるか」と問う「哲学」への転換によって、そうした見方の変更が起こり、そのような見方、考え方がプラトン以来ニーチェ以前の哲学者の根底には存在し続けてきたのであるが、19世紀後半に入って、ニーチェはヨーロッパの不毛な精神状況、すなわちすべてのものが無意味、無価値に見える虚無主義的な心理状態(ニヒリズム)をいかにして克服するべきかについて思索し、「神は死せり」という有名な言葉を発する。この「神は死せり」というのは、プラトン以来、ヨーロッパの文化形成を導き、いわば世界の諸事物に意味や価値を与えてきた最高の諸価値すなわち、「超感性的な」、「超自然的な」諸価値がその力を失ってしまった、ということを認め、そして、それらの諸価値を積極的に否定する以外には、当時ヨーロッパの思想界を覆っていた「ニヒリズム」を克服する方策はない、ということを言ったものである。ニーチェは、このように19世紀後半の病状の診断と病状の確認を行い、さらにその治療手段を講じていくことになる。さらにその思想は、ハイデガーらに受け継がれていくのであるが、木田は、それらの思想を本書で、ニーチェ以前の思想と区別して「反哲学」と呼ぶことを提唱している。そして、20世紀後半になると、このような反哲学の動きに刺激されて、ようやく「西洋」の脱中心化・解体の具体的作業にも着手されつつある、とのことである。
  

ニーチェ
ハイデガー










  本書は、プラトン以降のヨーロッパの哲学とキリスト教の教義の混交と一体化について、その歴史と流れをきわめてわかりやすく解説するとともに、19世紀後半になってなぜニーチェが「神は死せり」と言い「力への意思」と言い「永劫回帰」という言い方をし、反哲学と呼べるような「価値の転倒」をなしえたのかについても、丁寧に解説がされており、このようなことに少しでも興味を持っている人にはぜひ一読をお勧めする次第である。

2013.1.11
  Yukikaze