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1月18日の短歌教室用として下記の3首を提出した。
(1) 幕末の奔流に抗(あら)がい生き抜ける斉藤一(さいとうはじめ)という人ありき
新選組の中では、この歌の「斎藤一」が一番好感が持てる。とにかく、あの幕末・維新の激動の中、それも新選組という最も命の危険な集団に属し、三番隊組長として池田屋騒動や戊辰戦争など数々の修羅場を切り抜けた歴戦の剣士で、維新後は黙々として警察官や剣術指南を務めたけれども、新選組については多くを語らず大正4年に没した。同じように、幕末を生き抜けた隊士に同じく大正4年に没した二番隊組長の永倉新八がいるが、こちらは、どちらかというと維新後は新選組の顕彰に努めたという意味でかなり露出度が高い。斎藤一は新選組の中では、屈指の剣腕の持ち主で、一説によると一番の使い手だったという事であるが、永倉新八が一番、沖田総司が二番、斎藤一は三番だった、という説もある。
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(2) 大叔父(おおおじ)と叔父(しゅくふ)の果てし厳寒の「異国の丘」に祖母の文読む
自分の弟と息子がシベリア抑留の末亡くなった祖母の悲しみはいかばかりであったろうか。祖母はすでに亡くなったが、そのことについては何も口にしなかった。しかし、胸の中には痛恨の思いがあったに違いない。祖母とは、私の母の母である。
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「最晩年」とは、一生の終わりごろを示し、晩年のなかでも特に終末に近い時期、死ぬ前数年を指すことが多いらしい。もちろん、自分にとってそんな事はわからないのであるが、真っ赤に染まった冬雲を見ていると、晩年意識、というよりもこれから迎えるであろう「最晩年」の事が否が応でも湧き上がり、浮かんできた、ということを詠んでみたまでである。
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2013.1.16
Yukikaze
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