2009/10/01

読書のしおり -その11 『 縄文の思考 』(5/5)

読書のしおり -その11 『 縄文の思考 』(5/5)  小林達雄 ちくま新書 735円

山は高ければよいというのではない。 高さを誇るというよりも、むしろ容姿が発散するオーラ、風格が縄文人の目を魅きつけ、縄文人の気を魅く。 そのような山は、近くであろうと遠くであろうとそれ相応の見栄えがするが、頂上と言えば岩肌丸出しで草木もまばらでうそ寒い。 獲物もほとんど寄り付かないし、とても住みついて生活するところではない。 そんな頂上にも縄文人は確かに登っているのだ。 どんな用があったというのか、見当もつかない。 登山の本場ヨーロッパでさえも、山登りを目的とするようになったのはせいぜい13世紀以降のことであるそうだ。 そこに山があるから登る、という思いで頂上を目指すのは原始性を断ち切った新人間になってからである。 北海道の大雪山系の白雲岳、岩手県八甲田山、長野県八ヶ岳編笠山、滋賀、岐阜県境の伊吹山神奈川県大山などなどにおいて山頂から縄文文化の遺物が発見されている。 縄文人は、仰ぎ見ることで、はるかに隔たる空間を飛び越えて情意を通ずるのだ。 その積極性の現われが、ストーンサークルであり巨木列柱や石柱列や土盛遺構の位置取りを山の方位と関係づけて配置したことである。 さらにそうした山頂、山腹と二至二分における日の出、日の入りを重ね合わせる特別な装置を各地、各時期に創りあげたのである。 しかし、ムラと山頂との距離はいかに頭の中で観念的に越えて一体感に浸ることができたとしても、物理的距離は厳然として存在し、信念、信仰の縄文人魂だけでは到底埋めることはできない。 手を伸ばしても届かない山頂を呼び込むことは不可能だ。 この壁を打開するために、時には縄文人は自ら山頂を目指す決意をし、ついに実行に移したのだ。 こうして、山を仰ぎ見るだけでは手応えに不安が残る思いを解消するための具体的な一歩を踏み出したのだ。 そして、直に山頂に足跡を残し、山の霊気と接触することで自らの意思を伝え、交感することができたのであった。 縄文人が仰ぎ、時には登ることもあった山は、目に見える単なる景観の一部ではなく、縄文人によって発見された精霊の宿る特別な山であった。 この想いは縄文時代の終焉とともに忘却の彼方に押しやられたのではなく、縄文人の心から弥生人の心にも継承され、「修験者のような山岳宗教」や「山の神」などの形で、現代までも日本人の心の奥底に脈々と受け継がれているのではあるまいか。 山に対する信仰は、世界中で様々な形態があるが、日本のような精神的に内化した山のイメージといったものはないそうである。 石川啄木に『 目になれし山にはあれど秋くれば、神やすまふとかしこみて見る』、『 汽車の窓はるかに北に故郷の山見えくれば襟をただすも 』という歌もある。 かくのごとく、山に対する日本人の心には、日本の伝統的文化の象徴性が見えるような気がする。 以上に紹介したことや、添付写真の「 合掌土偶 」などにみられるように、縄文人は、高い精神性を持っていたことを改めて認識した次第である。
「結びにかえて」において、著者は、縄文文化が、現在の北海道から対馬、沖縄までの現在の日本列島の範囲に見事におさまっている理由について、面白い見解を述べている。 すなわち。現在の日本列島以外に縄文文化が波及していないのは、言葉の問題があり、彼我とは言葉が違い、文化が異なっていたからではないかと。 そのほか、本書には、縄文人の「人間宣言」、住居、居住空間、家族、炉、埋甕、交易、「気っぷ」の贈与、右と左、などの章立て、項目があり、縄文人、縄文文化について、その異常ともいえる「こだわり」をはじめとする精神面からその特徴を明らかにしており、それについての格好の入門書である。 本書を読んで、一度、現代の生活においてはほとんど意識されることがないけれども、われわれ日本人の深層心理に深く刷り込まれているであろう「縄文人の心」を呼び覚ましてみることは、大いに意味のあることだと思う。(完)


’09.10.1
   Yukikaze

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