2009/10/01

読書のしおり -その8 『 縄文の思考 』(2/5)

 読書のしおり感想 -その8 『 縄文の思考 』(2/5)  小林達雄 ちくま新書 735円  



縄文土器は現在確認されている一番古いものは、青森県で出土した一万6千年前のものがあるそうであるが、縄文文化的な型式の土器が定着するのは草創期後半、すなわち1万2千年~1万3千年前ころからである。 ここで注目すべきは、これらは世界で一番古い土器であって、その次に古い西アジアや南アメリカの約7500年前のものに比べて断トツに古いということだ。 日本人はもともとものつくりは得意であったというわけだ。 さらに、容器としての機能のイメージを見事に実現化した土器の革新性は、人類史上において極めて重要である、とも指摘している。 一方、縄文土器の広がりは、そのまま縄文文化圏と一致し、広く北海道から沖縄まで分布するが、台湾にはない。 縄文土器として有名なものに「火炎土器」なるものがある。 縁には大仰な突起があり、胴が細く、くびれたりしている。 なぜ縄文人は容器としては極めて使い勝手の悪いデザインを作り続けたのか。 かといって、縄文土器は容器の形態はしてはいるが、単なる物を一時的あるいは長期にわたって貯えたりしたものではなく、ほとんどすべてが食物の煮炊き用に供されていたのも事実である。 ここに、縄文人特有の哲学があるのであり、容器に使い勝手の良さを求めるのではなく、使い勝手の良さを犠牲にしてまで容器にどうしても付帯しなければならない何かがあったのだ。 この何かが縄文人による縄文デザインの真骨頂なのだ。 さらに、縄文土器を用いた煮炊きによって、植物食の開発と利用が飛躍的に促進され、その食糧事情は旧石器時代とは比較にならないほど安定し、大陸における農業を基盤とする新石器文化に負けを取ることなく堂々と肩を並べるほどになったのである。
石器の中で最も一般的な石鏃作りにもこだわりが認められ、黒曜石、頁岩、安山岩などについて、地方や、時期によって人気やははやりすたりがある。 特に、黒曜石については、縄文時代の土中深く掘りこんだ採掘抗があちらこちらで複数個所確認されている。 北海道白滝や置戸の黒曜石は、全道に普及していたばかりでなく、樺太やシベリアにまで運ばれているし、佐賀腰岳産の黒曜石も良質で、朝鮮半島にまでわたっている。 また、青森県深浦産の黒曜石は、長野県や新潟県にまで運ばれてきている。 石鏃や石槍には黒曜石以外でも十分に用が足りるのであるが、何よりも縄文人の強いこだわりが窺われる。 特定の石材に実用性を超えた何らかの価値が付与されたためであり、精神文化にかかわる問題が含まれている。(つづく)


’09.10.1
   Yukikaze

0 件のコメント:

コメントを投稿