今日、6月21日(金曜日)に浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第30回目の短歌教室があった。
(1) 「アザミの歌」大好きだった義弟(おとうと)が世を去りて早や十年が過ぐ
・ 実際は義弟であっても、短歌の場合は義弟と書いて「おとうと」とルビを振るまでもないだろう。フィクションでもかまわない。姑や義母であっても、母と書いた方がより身近に感じることもある。
・ 義弟が何で死んだのか、何歳だったのか、なぜ「アザミの歌」が好きだったのか、などなど関連した歌が10首ぐらいはすぐにできるはず。そういうのに挑戦してほしい。
→ → → 「アザミの歌」大好きだった弟が世を去りて早やくも十年が過ぐ
(2) 「錆びたナイフ」ふと聞こえ来てなつかしく、そにじんときた若き日のあり
・ 「そにじんときた」の「そに」はそぐわない。歌の歌詞通りに「胸にじんときた」の方がよい。
・ 「若き日のあり」では説明的だ。もう少し、余韻を持たせるべき。
・ 下記の添削例で、「流れきぬ」を「流れ来て」とすると説明的になってしまいよろしくない。
→ → → 「錆びたナイフ」の曲流れきぬ、胸にじんときた若き日のふいになつかし
(3) 「錆びたナイフ」の「俺もここまで泣きにきた」にはいくたびも慰められし
・ 歌全体が散文的になっている。
・ 前の歌とともに「錆びたナイフ」がトップに来ている。歌の並べ方、構成をよく考えること。
・ 前に「錆びたナイフ」と出てくるのでここでは「錆びたナイフ」は言う必要はなく、「流行歌」とか「はやり歌」でいいのではないか。
→ → → 「俺もここまで泣きに来た」という『錆びたナイフ』の文句に慰められし若き日
→ → → 「俺もここまで泣きに来た」という流行歌の文句に慰められし若き日
今日も結構直されたが、それなりに先生のいうことも理解できる。今後の参考にしてゆきたい。
私の歌ではないが、I さんの歌
「 やむを得ず河川敷に住む人もゐてブルーシート覆ふ小屋なくならず 」
・ やむを得ず住んでいる人ばかりではないかもしれない。好き好んでそういう所に住んでいる人もいるかもしれないし、そういう話もよく聞く
・ 河川敷のブルーシートの小屋から出てきた人を偶然見たら、ソクラテスそっくりだった、などというような内容にした方が短歌らしくなる
→ → → どのような境遇なるか河川敷のブルーシートの小屋に住む人
→ → → 哲学者もあるいはおらむ河川敷のブルーシートの小屋に住む人
2013.6.21
Yukikaze
2013/06/21
2013/06/19
短歌・俳句の風景 -その125(2013.6.19)
「短歌・俳句の風景」は、しばらくお休みしていましたが、久しぶりに書いてみました。今回は、土屋文明の有名な歌です。
『 終りなき時に入らむに束の間の後前(あとさき)ありや有りてかなしむ 』 土屋文明
文明の妻は、昭和57年4月に一晩病んだだけで、まことに思いがけず、あっけなく逝ってしまったそうです。この歌は、それから半年ほどたった時に詠まれたそうですが、ようやくその死を静かに受け入れられるようになったのかも知れません。現実主義の文明だったそうですが、この妻を悲しむ歌は万人の愛誦に堪える一首かと思います。
永遠の中にあっては、人間の命などはまことに短くほんの瞬間のものである。したがって、生を終える死に前後はあっても、それは永劫の中にあっては、ほんの一瞬の違いでしかなく、ないも同然と言える。そのように理性では考えても、実際にはこのように自分一人残って先立たれた悲しみは言いようがない。
私も、この3年の間に、父、次男、家内を亡くし、まったく同じ感慨を持っており、この歌を読むたびに茫々たる思いがします。
2013.6.19
Yukikaze
『 終りなき時に入らむに束の間の後前(あとさき)ありや有りてかなしむ 』 土屋文明
文明の妻は、昭和57年4月に一晩病んだだけで、まことに思いがけず、あっけなく逝ってしまったそうです。この歌は、それから半年ほどたった時に詠まれたそうですが、ようやくその死を静かに受け入れられるようになったのかも知れません。現実主義の文明だったそうですが、この妻を悲しむ歌は万人の愛誦に堪える一首かと思います。
永遠の中にあっては、人間の命などはまことに短くほんの瞬間のものである。したがって、生を終える死に前後はあっても、それは永劫の中にあっては、ほんの一瞬の違いでしかなく、ないも同然と言える。そのように理性では考えても、実際にはこのように自分一人残って先立たれた悲しみは言いようがない。
私も、この3年の間に、父、次男、家内を亡くし、まったく同じ感慨を持っており、この歌を読むたびに茫々たる思いがします。
サシバの渡り |
2013.6.19
Yukikaze
2013/06/18
日々の風景 -短歌教室(提出)(2013.6.18)
6月21日の短歌教室用として下記の3首を提出した。
1.「アザミの歌」大好きだった義弟(おとうと)が世を去りて早や十年が過ぐ
私の義弟(妻の妹の旦那さん)は、10年前58歳の若さで世を去った。がんだった。彼はことのほか「アザミの歌」が好きで、告別式の式場でも終始この歌がBGMとして流されていたのを思い出す。非常に穏やかで、かつ博識な人で、生きていれば節目節目でいろいろなことを導いてもらえたのではないかと残念でならない。
2.「錆びたナイフ」ふと聞こえ来てなつかしく、そにじんときた若き日のあり
3.「錆びたナイフ」の「俺もここまで泣きにきた」にはいくたびも慰められし
石原裕次郎主演の映画「錆びたナイフ」は見たことはないが、彼が歌ったこの歌は、何度聞いても本当に胸に「じん」と来るようないい歌である。


2013.6.18
Yukikaze
1.「アザミの歌」大好きだった義弟(おとうと)が世を去りて早や十年が過ぐ
私の義弟(妻の妹の旦那さん)は、10年前58歳の若さで世を去った。がんだった。彼はことのほか「アザミの歌」が好きで、告別式の式場でも終始この歌がBGMとして流されていたのを思い出す。非常に穏やかで、かつ博識な人で、生きていれば節目節目でいろいろなことを導いてもらえたのではないかと残念でならない。
![]() |
長野県の八島ヶ原湿原にある歌碑 |
![]() |
夏の八島ヶ原湿原 作詞者の横井弘がここで想を得た由 |
2.「錆びたナイフ」ふと聞こえ来てなつかしく、そにじんときた若き日のあり
3.「錆びたナイフ」の「俺もここまで泣きにきた」にはいくたびも慰められし
石原裕次郎主演の映画「錆びたナイフ」は見たことはないが、彼が歌ったこの歌は、何度聞いても本当に胸に「じん」と来るようないい歌である。


2013.6.18
Yukikaze
2013/06/07
日々の風景 -短歌教室(添削)(2013.6.7)
今日、6月7日(金曜日)に浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第29回目の短歌教室があった。
(1) 小一も悩みあるらし遥ちゃんは朝の機嫌が日ごとに変わる
この歌は、最初は「小一の遥ちゃんも悩みあるらしく朝の機嫌が日ごとに変わる」で提出していたものを掲出のように訂正をしたものである。先生曰く、訂正したことによって、「格段に」悪くなった、と。提出のものだと、小学一年生はすべて悩みがあることになる。多分そうかもしれないが、歌の趣旨としては、「小一の遥ちゃん」に焦点を当てて詠んでいるのであるから、「小一の遥ちゃん」とすべきである。また、後半部分は、内容が「一般化」されてしまっており、面白くない。「今朝の機嫌」とかに焦点を絞った方が、歌は生きてくる。
→ → → 小一の遥ちゃん何か悩めるか今朝はぐずりて機嫌が悪し
→ → → 小一の遥ちゃん何か悩めるか今朝は学校へ行くを嫌がる
(2) 席替えの日の夕食時小一の遥ちゃん笑顔で「ああよかった」と
このままでは、「ああよかった」の内容が明確でない。
→ → → 席替えで好きな子と並びし遥ちゃんは「ああよかった」と笑顔でもどりし
(3) 久々に訪いにし保育園に遥ちゃんは油売るらしわれ待たされており
遥ちゃんは、自分と一緒に保育園に来たことが、一番最後になって分かる。このような構成は好ましくない。また、「油を売る」などという言葉は、既成語であり一般によく使われている言葉であり、短歌の中では出来るだけ使わないようにしたい。
→ → → 保育園に久々に来たる遥ちゃんは我を待たせて油売りおり
→ → → 保育園に久々に来たる遥ちゃんは我を待たせて自慢話しており
Kさんの歌
「 老い母は登校の子を送るごと手をふり門の我を見送る 」
「ごと」は「がに」の方がよい。「登校の子」では高校生、大学生かもしれない。小学生あるいは幼子などにした方がよい。また、この歌の主題は、母が手をふっていることにあるのであって、門に自分を見送っていることにあるのではない。したがって、「門に手をふる」で締めた方がよい。
→ → → 小学生の子を送るがに老い母が我を見送り門に手をふる
Mさんの歌
「 町内のあじさい祭り近づきてとりどりの色築山染めゆく 」
「とりどりの色」とは何の色なのか。また、築山はどこにあるのか。
→ → → 公園の築山のあじさい色深め今年もあじさい祭り近づく
今日も随分直されたが、指摘されたことを今後の作歌に反映させていきたい。
なお、全般的な注意として、下記のような指摘があった。
1.歌は出来るだけ「喜び」の感情を詠みたい
2.臨場感を持って詠むこと
3.使い古された既成語はなるべく避けること(例えば、「油を売る」、「釘づけとなる」など)
2013.6.7
Yukikaze
(1) 小一も悩みあるらし遥ちゃんは朝の機嫌が日ごとに変わる
この歌は、最初は「小一の遥ちゃんも悩みあるらしく朝の機嫌が日ごとに変わる」で提出していたものを掲出のように訂正をしたものである。先生曰く、訂正したことによって、「格段に」悪くなった、と。提出のものだと、小学一年生はすべて悩みがあることになる。多分そうかもしれないが、歌の趣旨としては、「小一の遥ちゃん」に焦点を当てて詠んでいるのであるから、「小一の遥ちゃん」とすべきである。また、後半部分は、内容が「一般化」されてしまっており、面白くない。「今朝の機嫌」とかに焦点を絞った方が、歌は生きてくる。
→ → → 小一の遥ちゃん何か悩めるか今朝はぐずりて機嫌が悪し
→ → → 小一の遥ちゃん何か悩めるか今朝は学校へ行くを嫌がる
(2) 席替えの日の夕食時小一の遥ちゃん笑顔で「ああよかった」と
このままでは、「ああよかった」の内容が明確でない。
→ → → 席替えで好きな子と並びし遥ちゃんは「ああよかった」と笑顔でもどりし
(3) 久々に訪いにし保育園に遥ちゃんは油売るらしわれ待たされており
遥ちゃんは、自分と一緒に保育園に来たことが、一番最後になって分かる。このような構成は好ましくない。また、「油を売る」などという言葉は、既成語であり一般によく使われている言葉であり、短歌の中では出来るだけ使わないようにしたい。
→ → → 保育園に久々に来たる遥ちゃんは我を待たせて油売りおり
→ → → 保育園に久々に来たる遥ちゃんは我を待たせて自慢話しており
Kさんの歌
「 老い母は登校の子を送るごと手をふり門の我を見送る 」
「ごと」は「がに」の方がよい。「登校の子」では高校生、大学生かもしれない。小学生あるいは幼子などにした方がよい。また、この歌の主題は、母が手をふっていることにあるのであって、門に自分を見送っていることにあるのではない。したがって、「門に手をふる」で締めた方がよい。
→ → → 小学生の子を送るがに老い母が我を見送り門に手をふる
Mさんの歌
「 町内のあじさい祭り近づきてとりどりの色築山染めゆく 」
「とりどりの色」とは何の色なのか。また、築山はどこにあるのか。
→ → → 公園の築山のあじさい色深め今年もあじさい祭り近づく
今日も随分直されたが、指摘されたことを今後の作歌に反映させていきたい。
なお、全般的な注意として、下記のような指摘があった。
1.歌は出来るだけ「喜び」の感情を詠みたい
2.臨場感を持って詠むこと
3.使い古された既成語はなるべく避けること(例えば、「油を売る」、「釘づけとなる」など)
2013.6.7
Yukikaze
2013/06/06
日々の風景 -短歌教室(提出)(2013.6.6)
6月7日の短歌教室用として下記の3首を提出した。
孫の「遥ちゃん」についての歌3首。いずれも、この春小学一年生になった孫の「遥ちゃん」の最近の言動を詠んでみた。
(1) 小一も悩みあるらし遥ちゃんは朝の機嫌が日ごとに変わる
朝、登校時の機嫌は毎日微妙に違う。学校の、あるいは登校時の何かにいやなことあるいは楽しいことを連想・想起しているのかもしれない。パパとママは、彼女の朝の機嫌のよしあしに一喜一憂している。
(2) 席替えの日の夕食時小一の遥ちゃん笑顔で「ああよかった」と
夕食時は、その日一日の出来事のママへの報告の場。席替えの日の報告は、にこやかな笑顔で心底うれしそうに「ほんと~う、によかった~」と話していた。見ていて、こちらも「よかったね」と言ってしまった。
(3) 久々に訪いにし保育園に遥ちゃんは油売るらしわれ待たされており
遥ちゃんがこの3月に卒園した保育園には、弟が通っている。5月にその弟を遥ちゃんと一緒に迎えに行ったことがある。その時、遥ちゃんは、お世話になった旧知の先生方や用務員の方まで一人一人と長々とおしゃべりをしていて、なかなか帰りそうになく私は長いこと待たされる羽目になってしまった。
2013.6.6
Yukikaze
孫の「遥ちゃん」についての歌3首。いずれも、この春小学一年生になった孫の「遥ちゃん」の最近の言動を詠んでみた。
(1) 小一も悩みあるらし遥ちゃんは朝の機嫌が日ごとに変わる
朝、登校時の機嫌は毎日微妙に違う。学校の、あるいは登校時の何かにいやなことあるいは楽しいことを連想・想起しているのかもしれない。パパとママは、彼女の朝の機嫌のよしあしに一喜一憂している。
(2) 席替えの日の夕食時小一の遥ちゃん笑顔で「ああよかった」と
夕食時は、その日一日の出来事のママへの報告の場。席替えの日の報告は、にこやかな笑顔で心底うれしそうに「ほんと~う、によかった~」と話していた。見ていて、こちらも「よかったね」と言ってしまった。
(3) 久々に訪いにし保育園に遥ちゃんは油売るらしわれ待たされており
遥ちゃんがこの3月に卒園した保育園には、弟が通っている。5月にその弟を遥ちゃんと一緒に迎えに行ったことがある。その時、遥ちゃんは、お世話になった旧知の先生方や用務員の方まで一人一人と長々とおしゃべりをしていて、なかなか帰りそうになく私は長いこと待たされる羽目になってしまった。
いとこのミミー(左)と遥ちゃん(右) |
登校初日の遥ちゃん |
2013.6.6
Yukikaze
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