『 終りなき時に入らむに束の間の後前(あとさき)ありや有りてかなしむ 』 土屋文明
文明の妻は、昭和57年4月に一晩病んだだけで、まことに思いがけず、あっけなく逝ってしまったそうです。この歌は、それから半年ほどたった時に詠まれたそうですが、ようやくその死を静かに受け入れられるようになったのかも知れません。現実主義の文明だったそうですが、この妻を悲しむ歌は万人の愛誦に堪える一首かと思います。
永遠の中にあっては、人間の命などはまことに短くほんの瞬間のものである。したがって、生を終える死に前後はあっても、それは永劫の中にあっては、ほんの一瞬の違いでしかなく、ないも同然と言える。そのように理性では考えても、実際にはこのように自分一人残って先立たれた悲しみは言いようがない。
私も、この3年の間に、父、次男、家内を亡くし、まったく同じ感慨を持っており、この歌を読むたびに茫々たる思いがします。
サシバの渡り |
2013.6.19
Yukikaze
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