2013/08/09

日々の風景 -短歌教室(添削)(2013.8.9)

 
お詫び  お詫び  お詫び  お詫び  お詫び  お詫び

 このブログまでは、グーグルの「Blogger」というブログを利用していましたが、7月22日ごろに突然私のいつも使っているデスクトップのパソコンからは投稿や編集が出来なくなってしまいました。パソコンによっては投稿や編集ができるものもあるようですが、わたしがいつも使っているパソコンからはどうやってもできません。色々と手を尽くしながらしばらく様子を見ていたのですが、回復の見通しがつかないので「Blogger」に見切りをつけて「FC2」というブログに「引っ越し」をしました。今後は、このFC2ブログに色々と書いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。 新ブログのURLは「 http://catsanddogswadayuki.blog.fc2.com/ 」 で、ブログの名称は「つれづれさいたま」で以前と同じです。
そういうことで、Yukikaze の「つれづれさいたま」をBlogger で書くのは今回が最後になります。
(今日のこのブログのみは、投稿・編集が可能な別のパソコンから投稿していますが・・・)



7月19日(金曜日)に浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第32回目の短歌教室があった。


(1) 寒明けのモクレンの花孤高にて気位(きぐらい)もちて天に散りそむ
 ・寒明けとは、立春過ぎのことであって、2月4日、5日以降は寒明けになる。モクレンは大体3月に入ってから咲くものであるから、寒明けと言うのは季節的に合わない。
 ・ただ「モクレン」といった場合は朱モクレンのことを指す。白のモクレンなら白モクレンと言うべきである。
 ・「孤高」という言葉は、ひまわりのように一つだけ咲いているというイメージである。モクレンはたくさんの花が一斉に咲いているので、「孤高」のイメージはないのではないか。
 ・「天に散りそむ」というのは、桜の花などが天空に舞い散っているイメージであり、モクレンには合わない。モクレンの花はボタッと地に落ちて来る。

ということで、この歌に対しては添削出来ない、ということであった。



(2) 花すぎて鎮守の杜の大クスは静もりてあり梅雨近からむ
 ・「花すぎて」という表現は、桜の花の季節が過ぎて、という意味にとられかねない。

 → → → 鎮守の杜の大クスは花散りてしづもりてあり梅雨近き日を

 → → → 鎮守の杜の大きクスの木花の季節終わりてシンと青葉しづもる




(3) 木漏れ日にイワナ耀(かがよ)い奥秩父入川渓(いりかわたに)に夏は来にけり
 ・奥秩父に夏がやってきた、ということよりも、渓流にイワナが泳いでいるのをみた、ということに重点を置いたほうがよい

 → → → イワナらしき魚影光りて奥秩父の入川谷に夏は来にけり
 
 → → → 木漏れ日の揺るる川瀬をのぞき見ればイワナかいくつかの魚影きらめく


7月19日の短歌はかなりの自信作であったが、色々と指摘されてしまった。


8月9日
 
 Yukikaze




2013/07/24

日々の風景 -短歌教室(提出)(2013.7.24)

7月19日の短歌教室用として下記の3首を提出した。
 
 今回は、自然の移り変わりを木々に託して読んでみた。

(1) 寒明けのモクレンの花孤高にて気位(きぐらい)もちて天に散りそむ

 木蓮は3月初めごろに大きな花を天上につける。朱モクレンと白モクレンがあるが朱モクレンのほうが一般的なようである。一本の木にたくさんの花をつけるが、私だけの感じかもしれないが、一つひとつの花を見ると孤高で気位が高いように見える。1~2週間咲いた後に、はらはらと天上に花びらを散らしていく。
白モクレンの木
白モクレンの花












(2) 花すぎて鎮守の杜の大クスは静もりてあり梅雨近からむ

 楠の花は5月から6月ごろに小さな目立たない花をたくさん咲かせる。虫媒花なので、花期にはたくさんの昆虫が寄ってきてなんとなく騒々しい感じがするが、その花期をすぎると静かな感じに戻る。そうすると梅雨も間近である。
鎮守の杜とクスの木


クスの花












(3) 木漏れ日にイワナ耀(かがよ)い奥秩父入川渓(いりかわたに)に夏は来にけり

 私が住んでいる埼玉南部の平野部から見ると奥秩父はよっぽどの山奥の感じがして夏が来るのもかなり遅れるのではないかと思ってこの様に詠んでみた。

渓谷の木漏れ日

イワナ












2013.7.24
  Yukikaze 


2013/07/05

日々の風景 -短歌教室(添削)(2013.7.5)

 今日、7月5日(金曜日)に浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第31回目の短歌教室があった。

(1) 南溟に水漬きて還らぬ兵の墓田のあぜにあり母建てしとぞ
 ・「南溟」とか「水漬きて」なんかの言葉は、古めかしくて現代短歌ではあまり使わない。南方に出いいのではないか。
 ・「南溟に水漬きて還らぬ兵の墓」というところがなんとなく俳句の口調になっており、もう少し工夫が必要。
 ・この歌のバックを考えて、「南方」、「一人息子なのか」、「女手一つで育てたのか」などなどについて言うなら、別の歌にすべき

 → → → 残されし母が建てにし兵の墓田のあぜ道のほとりに古りぬ


(2) 亡き妻の血を引くゆえかわが娘笑える時に鼻にしわよる
 ・「笑える」が問題  「笑える」といった場合、二つの意味に取れる。
  〈ⅰ〉 笑っている時
  〈ⅱ〉 笑う事が出来る時
 したがって今の場合は、「笑う時」とした方がよい。

 → → → 亡き妻の血を引く娘笑う時あわれ母に似て鼻にしわよる


(3) 卒寿過ぐ母と今年も庭の枇杷採りしがこれからいくたびかとる
 
 ・「卒寿過ぐ」は「卒寿過ぎし」が正しい。
 ・「これからいくたびかとる」は言いたいことは分かるが、これを言うと煩雑、複雑になってしまう。これは、言わないで鑑賞者の想像に任せる。

 → → → 卒寿過ぎても相変わらず元気なる母と今年も共に庭の琵琶とる



2013.7.5
  Yukikaze


2013/07/03

日々の風景 -短歌教室(提出)(2013.7.3)

7月5日の短歌教室用として下記の3首を提出した。


(1) 南溟に水漬きて還らぬ兵の墓田のあぜにあり母建てしとぞ

    実家の近くに実際にそのようなお墓があった。お母さんの嘆きはいかばかりであったろうか。
           

彼岸花とお墓


(2) 亡き妻の血を引くゆえかわが娘笑える時に鼻にしわよる
  
  私の娘は亡き妻の実の娘でもあるから、性格や体の特徴に似たところがあって当然であるが、実際にそれを目のあたりにすると何とも言えない感慨がある。
 


(3) 卒寿過ぐ母と今年も庭の枇杷採りしがこれからいくたびかとる

  6月になると、92歳の母親と毎年庭の枇杷の実を採っている。実家のあたりでは、家ごとに枇杷の木があってこの時期どの家にも枇杷の実が鈴なりになっている。しかし、よく見るとどこの枇杷の実も親指ほどの大きさしかなく種が大きな枇杷のことであるから、たぶん食べられたものではないのではないか。それに比べて、実家の枇杷の実は十分に大きく、人にあげても喜んで食べてもらえる、と母はいつも自慢している。この枇杷採りもいつまで続けられるのだろうか。

琵琶の実

2013.7.3
   Yukikaze


   

2013/06/21

日々の風景 -短歌教室(添削)(2013.6.21)

今日、6月21日(金曜日)に浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第30回目の短歌教室があった。

(1) 「アザミの歌」大好きだった義弟(おとうと)が世を去りて早や十年が過ぐ

 ・ 実際は義弟であっても、短歌の場合は義弟と書いて「おとうと」とルビを振るまでもないだろう。フィクションでもかまわない。姑や義母であっても、母と書いた方がより身近に感じることもある。
 ・ 義弟が何で死んだのか、何歳だったのか、なぜ「アザミの歌」が好きだったのか、などなど関連した歌が10首ぐらいはすぐにできるはず。そういうのに挑戦してほしい。

 → → → 「アザミの歌」大好きだった弟が世を去りて早やくも十年が過ぐ


(2) 「錆びたナイフ」ふと聞こえ来てなつかしく、そにじんときた若き日のあり
 
 ・ 「そにじんときた」の「そに」はそぐわない。歌の歌詞通りに「胸にじんときた」の方がよい。
 ・ 「若き日のあり」では説明的だ。もう少し、余韻を持たせるべき。
 ・ 下記の添削例で、「流れきぬ」を「流れ来て」とすると説明的になってしまいよろしくない。

 → → → 「錆びたナイフ」の曲流れきぬ、胸にじんときた若き日のふいになつかし

 
(3) 「錆びたナイフ」の「俺もここまで泣きにきた」にはいくたびも慰められし

 ・ 歌全体が散文的になっている。
 ・ 前の歌とともに「錆びたナイフ」がトップに来ている。歌の並べ方、構成をよく考えること。
 ・ 前に「錆びたナイフ」と出てくるのでここでは「錆びたナイフ」は言う必要はなく、「流行歌」とか「はやり歌」でいいのではないか。

 → → → 「俺もここまで泣きに来た」という『錆びたナイフ』の文句に慰められし若き日
 → → → 「俺もここまで泣きに来た」という流行歌の文句に慰められし若き日


今日も結構直されたが、それなりに先生のいうことも理解できる。今後の参考にしてゆきたい。


私の歌ではないが、I さんの歌

     「 やむを得ず河川敷に住む人もゐてブルーシート覆ふ小屋なくならず 」

 ・ やむを得ず住んでいる人ばかりではないかもしれない。好き好んでそういう所に住んでいる人もいるかもしれないし、そういう話もよく聞く
 ・ 河川敷のブルーシートの小屋から出てきた人を偶然見たら、ソクラテスそっくりだった、などというような内容にした方が短歌らしくなる
 
 → → → どのような境遇なるか河川敷のブルーシートの小屋に住む人
 → → → 哲学者もあるいはおらむ河川敷のブルーシートの小屋に住む人



2013.6.21
   Yukikaze


2013/06/19

短歌・俳句の風景 -その125(2013.6.19)

「短歌・俳句の風景」は、しばらくお休みしていましたが、久しぶりに書いてみました。今回は、土屋文明の有名な歌です。


『 終りなき時に入らむに束の間の後前(あとさき)ありや有りてかなしむ 』  土屋文明

 文明の妻は、昭和57年4月に一晩病んだだけで、まことに思いがけず、あっけなく逝ってしまったそうです。この歌は、それから半年ほどたった時に詠まれたそうですが、ようやくその死を静かに受け入れられるようになったのかも知れません。現実主義の文明だったそうですが、この妻を悲しむ歌は万人の愛誦に堪える一首かと思います。
 永遠の中にあっては、人間の命などはまことに短くほんの瞬間のものである。したがって、生を終える死に前後はあっても、それは永劫の中にあっては、ほんの一瞬の違いでしかなく、ないも同然と言える。そのように理性では考えても、実際にはこのように自分一人残って先立たれた悲しみは言いようがない。
 私も、この3年の間に、父、次男、家内を亡くし、まったく同じ感慨を持っており、この歌を読むたびに茫々たる思いがします。

サシバの渡り



2013.6.19
   Yukikaze

2013/06/18

日々の風景 -短歌教室(提出)(2013.6.18)

6月21日の短歌教室用として下記の3首を提出した。

1.「アザミの歌」大好きだった義弟(おとうと)が世を去りて早や十年が過ぐ

 私の義弟(妻の妹の旦那さん)は、10年前58歳の若さで世を去った。がんだった。彼はことのほか「アザミの歌」が好きで、告別式の式場でも終始この歌がBGMとして流されていたのを思い出す。非常に穏やかで、かつ博識な人で、生きていれば節目節目でいろいろなことを導いてもらえたのではないかと残念でならない。



長野県の八島ヶ原湿原にある歌碑
夏の八島ヶ原湿原
作詞者の横井弘がここで想を得た由













2.「錆びたナイフ」ふと聞こえ来てなつかしく、そにじんときた若き日のあり

 
3.「錆びたナイフ」の「俺もここまで泣きにきた」にはいくたびも慰められし

 石原裕次郎主演の映画「錆びたナイフ」は見たことはないが、彼が歌ったこの歌は、何度聞いても本当に胸に「じん」と来るようないい歌である。






















2013.6.18
   Yukikaze