『 プラトン入門 』
竹田青嗣著 ちくま新書No190
ヨーロッパの現代思想では、思考の「普遍性」という概念は、それによって世界の一切の現象を整合的に説明し尽くしうる絶対的で根本的な観点が存在する、という確信を意味しており、このすべてを普遍的視点から理解できるという発想こそ、ヨーロッパ的理性に特有の、「ヨーロッパ中心主義」的な傲慢で危険な考え方だ、というのであるが、著者は、そうではなく、「普遍性」という概念の本質は、異なった人間どうしが言葉を通して共通の理解や共感を見出しうるその可能性、すなわち、さまざまな共同体を越えて共通了解を作り出そうとする思考の不断の努力という点にあり、プラトンの思考が一貫して示しているのは、言葉、言い換えれば論理をどのような仕方で扱えば、この可能性の原理を捉えうるか、という課題の探求の軌跡であると主張する。
次に、「なぜ存在があり、無があるのではないか」という問いよりも、なぜ人は古来からそういう形而上学的問いを問わざるをえなかったのか、という問いの方が、より本質的な問いである、と著者は、主張する。そういう意味において、「世界とは何であるか」、「いったい人が世界および事物の『原因・根拠』を問うのはなぜか」という問いは、「楽しく」、「よく」、「深く」生きたいという人間の生への欲望それ自体から現れた本質的な問いであり、人間にとって、本来探求に値するのは、物事のありようにおいて、「何が真実か」ではなく、「何が最善か」ということだけだ、というソクラテスの言葉は、哲学の本質を深くついている、と著者は指摘している。
以上のような論点から出発して、著者は、ソクラテス論から始まって、イデア論、エロス、美、恋愛論、政治と哲学の理想論へとプラトンの思想履歴に沿った独自のプラトン解釈および現代哲学批判を展開している。
著者は、『人はさまざまなものに対する欲望を持ち、その欲望の形は千差万別だ。しかし、それにもかかわらず人間の欲望には、つねにより美しいもの、より善いものを求め、ついにその対象を、何かこの上ない「ほんとうのもの」という形で思い描かざるをえないような本来的な性格がある、言い換えれば、「美のイデア」は人間のエロスと欲望の本質にかかわり、「真理」ではなく「ほんとう」という言葉に結びついている』と、主張している。
そして、著者は、あとがきにおいて『現代の思潮はヨーロッパ出自の資本主義を否認し、国民国家原理による歴史の悲惨の罪障感を打ち消すために「普遍性」という概念を否認する。 しかし、「普遍性」の視点を失うことは、ある感情に押されて思考を反動形式へと投げ入れること、思想をより強靱なものへ鍛える手だてを捨て、羊のロマン主義にゆだねることだ。 それは、結局思想の根拠自体を投げ捨てることである。 この簡明なことが、しかし現在、哲学と思想から見えなくなっている。 我々は、いまもう一度、ギリシャ哲学において、ソクラテス=プラトンが果たした役割を見つめなおし、「普遍性」の概念に基づいた哲学、という方法の原点に立ち戻らなくてはならないが、まさしくその中心にプラトンの哲学がある。』という主張で本書を締めくくっている。
以上のように、著者は、『人は本質として「何が真か」ではなく、何が「より善きもの」であり「より美しいもの」であるかを希求するものである』というのがプラトンの思考のベースであり、『「真」の普遍化の追求』といったヨーロッパ的思考の根源をプラトンに求めるのは全くの筋違いであり、今こそプラトン=ソクラテスの原点に立ち返る必要がある、と主張しており、強く共感させられた。 そういう意味で本書は、プラトンの入門書としてぜひ一読をお勧めしたい。