2009/09/20

読書のしおり ー その1 「 ハックルベリー・フィンのアメリカ 」


ハックルベリー・フィンのアメリカ』 亀井俊介著、 中公新書、 777円

小学生時代に、「トム・ソーヤの冒険」および「ハックルベリー・フィンの冒険」の両方とも読んだ記憶がかすかにあり、中身はほとんど覚えていないがちょっと懐かしくなり買って読んでみた。

両方とも1850年前後のアメリカのミシシッピー川流域を舞台にしたマーク・トウェイン作の小説であるが、「トム・ソーヤの冒険」のほうは、帰還を前提に文明の秩序から2,3日の一時的な「脱走」をして海賊ごっこをし、親たちをあわてさせる、というする子供らしいいたずらがメインテーマであり、一方 「ハックルベリー・フィンの冒険」のほうは、時間的にも空間的にも舞台がかなり広くなって、ミシシッピー川やその沿岸地域でハックルベリー・フィンとその相棒の黒人奴隷のジムがいろいろな人たちに助けられたり、時にはだまされたりしながらも「自由」を求めてあちこちと冒険を繰り広げ、最後には社会の組織に巻き込まれて「Civilize」させられそうになったところで、彼は「インディアン地区へでも逃げ出さなくちゃなるまい」と思うところで作品は終わっており、自然と自由を求めるというアメリカ人の源流的心情が表面に出てはいるが、よく読むと、本心では仲間がいて安心して生きられる社会をも求めているという一見矛盾した心情がメインテーマとなっている。 

この作品の舞台は1850年前後の中部アメリカであるが、マーク・トウェインがこの作品を書いたのは1885年ごろであり、そのころにはいわゆるフロンティアも消滅しかけており、自然のままに自由に生きるという建前としてのアメリカ人の夢は消滅寸前となり、自然の中に秩序ある文明社会を建設するという、本音の部分が中心的な命題としてクローズアップされてきた時期でもある。 著者は、このアメリカ人としての本音と建前を浮浪児上がり 一一 元をただせばアメリカ人というのはヨーロッパの秩序からはみ出した浮浪者みたいなものではないか 一一 のハックが自由奔放な行動で体現して見せているからこそ、「アメリカ人の原型」とみなされるようになったのであり、それは現在でもアメリカ人の深層心理に反映されると共に、この二つの価値観の間で大きな振幅をもって揺れているのではないか、そういう意味で、ハックは「自然」と「文明」の間で揺れ続けるアメリカ社会の根源的かつ矛盾した欲求の原型でもある、と指摘しており、現在のアメリカというものを考える際の大きな指針にもなるのではないかと思う。


’09.9.20
   Yukikaze


 




















0 件のコメント:

コメントを投稿