2012/09/23

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.9.23)

先週の金曜日9月21日(金)、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第10回目の短歌教室があった。
(1) さきたまは魂幸(たまさち)し国神々の熱きドラマに思いをはせる
 
 ・ 日本語には「魂幸し(たまさちし)」などという言い方はない
 ・ 「神々」と言っても一般の人には何のことかわからない

→ → 「 幸魂(さきたま)は語源と知りてよりさいたまはますます好きになりて来たりぬ 」

(2) さきたまの荒ぶる神や乎獲居臣(おわけおみ)倭(わ)の大王(おおきみ)と山河駈けしか

 ・ 誰でもが分かる内容にすること

→ → 「 鉄剣に金字で彫られし乎獲居臣(おわけおみ)倭(わ)の大王(おおきみ)とはいかなる神ぞも 」

  ・ 「ぞも  」は、「 ・・・かな~ 」という意味

(3) 稲荷山に永久(とわ)に眠れるヒーローの一代(ひとよ)を想い墳丘見上ぐ
 ・ もう少し広がりと潤いのある詠みかたを工夫すること

→ → 「 稲荷山古墳に永久に眠りいる王の一代に想いめぐらす 」

いろいろ言われたが、おおむね納得
指摘されたことは、今後に反映させたい

2012.9.23
   Yukikaze


2012/09/20

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.9.19)

9月21日の短歌教室用として下記の3首を提出した。

 もう半年も前になるが、今年の3月15日に「さきたま古墳群」を見に行き、その時の様子は6月1日のブログで紹介した。今回はこの「さきたま古墳群」、とくに将軍山古墳と稲荷山古墳について感じたところを短歌にしてみた。1500年も昔のことで、当時の正確な記録などはなく、日本書紀に、当時の武蔵の国で豪族間の争いがあったことが垣間見えだけであるが、さきたま古墳群の前に立つとなんとなく想像がかきたてられる思いがしました。
 将軍山古墳では、半島由来と思われる武具が多数出土し、稲荷山古墳からは時代が特定できる文字記録としては日本最古の「金錯銘鉄剣」が出土しており、この地が一大文化圏であったことが予想される。

(1) さきたまは魂幸(たまさち)し国神々の熱きドラマに思いをはせる


さきたま古墳群 めざせ世界遺産

 
ガイドブック さきたま
さきたま古墳群の配置
さきたま古墳群



(2) さきたまの荒ぶる神や乎獲居臣(おわけおみ)倭(わ)の大王(おおきみ)と山河駈けしか

将軍山古墳の埴輪
将軍山古墳










将軍山古墳の将軍

 


武具の説明図












(3) 稲荷山に永久(とわ)に眠れるヒーローの一代(ひとよ)を想い墳丘見上ぐ

稲荷山古墳後円部への階段
稲荷山古墳
金錯銘鉄剣


稲荷山古墳の埋葬施設


2012.9.19
 Yukikaze

2012/09/12

フェリーによる徳島への帰省('12.9.12)

 四国・徳島には91歳の母がケアハウスで生活をしている。前回、6月の初めに帰ってから3ヶ月がたったので久しぶりに帰省することにした。以前は飛行機で帰っていたが、最近は東京→徳島→北九州を定期運航している「オーシャンフェリー」を利用している。理由は、単純に「安い」から。私は、耳の聞こえが悪いので「身体障害者手帳」を交付されており、これを使うと7150円で徳島まで行ける。飛行機の場合は65歳以上のシルバーパスでも12170円であり、フェリーのほうがかなり安く時間に余裕がある場合は、といっても、一晩寝るのが船の中か、自分のベッドかの違いぐらいであるが、フェリーのほうが断然「お得」である。なお、フェリーの「二等寝台」の場合は二段ベッドではあるが、ちゃんと足腰を伸ばして寝ることが出来る。ただし、私の場合揺れや音はほとんど気にならなかったが、エンジンの微振動が気になって熟睡出来なかった気がする。次回もっフェリーにするかどうかは微妙である。夜行バスでも1万円未満のものがあるが、これはうるさくて熟睡出来ず疲れる。
 東京港フェリーターミナルの桟橋を定刻の夜の7時30分に出港し、徳島の津田港にあくる日の13時20分に到着する。約18時間の船旅である。この会社(オーシャン東九フェリー)は、オーシャン・イースト、ウエスト、サウス、ノースの4隻のフェリーを所有しており、仕様はほぼ同じようである。私が今回乗船したのは、「オーシャンノース」で、総トン数約11000トン、全長156m、幅25m、最大速度21ノット(39km/h)であり、徳島~東京間640Kmを18時間で走るということは、時速36km/hのスピード、すなわち100mを10秒で走るスピードであり、世界最速のボルトが640Kmを全速力で走っている事に相当する。
 紀伊半島先端の潮岬をほぼ定刻の9時20分ごろに通過した。船内には主な通過地点の予定時刻が掲示してあるが、見ているとかなり正確である。船員さんに聞くと今は自動運行装置でよっぽどのことがないかぎりほぼ定刻で運航されているそうである。紀伊半島上空には夏雲とともに秋の雲が浮かんでおり、秋近しを思わせる。徳島港には13時ごろ到着したが、接岸し下船したのは定刻の13時20分であった。徳島の母のところで2泊し帰りは徳島空港からANAで帰ってきた。   
 私の最寄り駅である「武蔵浦和駅」から臨海線直通の埼京線に乗り、約50分で「国際展示場駅」に到着。そこから東京港フェリーターミナルまでは約3Km、送迎バスがあるが、前回からは歩くことにしている。せいぜい40分ぐらいの散歩である。以下、順に写真を添付します。


臨海線「国際展示場駅」
「国際展示場駅」前の癌研病院

ゆきかもめの「国際展示場正門駅」

オーシャンフェリー遠望
道路標識 左折して「フェリーふ頭」のほうに進む

左折してすぐの「有明埠頭橋」

国際展示場遠景

東京港フェリーターミナル

乗船するフェリー「オーシャンノース」後ろ半分

 
乗船するフェリー「オーシャンノース」前半分

フェリー上からの東京の夜景

東京ゲートブリッジ

船内風景その1
船内風景その2
船内風景その3

潮岬灯台

航跡

フェリーの後部甲板で
紀伊水道より望む紀伊半島の山々

紀伊半島上の夏雲と秋の雲



徳島港到着

帰りは徳島空港から

徳島空港の阿波踊の群像









2012/09/01

おおかみこどもの雨と雪('12.9.1)

 2~3週間ほど前に「おおかみこどもの雨と雪」というアニメ映画を長男と小学1年のその娘(私から見れば孫)と一緒に見に行った。孫は、そのちょっと前に、嫁の父母(孫から見れば、じじばば)と見に行って、いたく気に入ったそうで、もう一度見たいと長男にせがんだそうである。このアニメのどこがどういうふうに気に入ったのかわからないが、とにかく行くことにした。映画館は、浦和駅東口にあるパルコ6階の「ユナイテッド・シネマ」。
 私は、映画はもう7~8年見たことがない。小学生高学年ごろ、今からもう55年も昔のことになってしまったが、歩いて15分ぐらいのところに映画館があって、父によく連れて行ってもらったものだ。内容は、たいてい時代劇か、西部劇で、東宝か東映かまた大映なのか忘れてしまったが、映画の始まりが波が岩に砕け散るシーンであったのしか覚えていない。また西部劇のスタート画面も、総天然色の広大な原野と真っ青な大空が映し出されていたのを覚えている。
 さて、「おおかみこどもの雨と雪」であるが、ほぼ満席で、我々の席は一番前、いわゆる「かぶりつき」であったが、それほど首も痛くならずに、まあまあ快適に見ることができた。最近の映画館の客席はその辺をちゃんと考えた設計になっているようだ。
 内容は、インターネットで検索をすればたくさん出てくるので、ここでは書かない。しかし、インターネットの書き込みを見ると、あまり評判は良くないようだ。評価点が100点満点で40点というのもあった。要するに、主人公の一挙手一投足を見て、内容が現実離れ、浮世離れしすぎている、足が地についていない、などというものがほとんどである。確かに言われてみればそうかもしれないが、私にとっては、そんなに悪い印象はなかった。もともと、小説でも映画でも中身は言ってみればどれも「フィクション」であり、多少、と言っても人によってその許容限度にはいろいろあると思うが、少々の「現実離れ」はやむを得ないのではないか。
 人間だれしも大なり小なり動物的な内面も持っているだろうし、個性の違いもぴんからきりまである。また、精神的な悩みを持っている人も多い。まあ、おおかみに変身してしまうというのは極端だとしても、思春期になれば、なにかしらそのような衝動をだれしも覚えるであろう。ヨーロッパには、人間が野生の動物に変身することへの恐れみたいな心理があって、カフカの「変身」とか作者は忘れたが「キツネになった婦人」などのいわば怪奇的な小説もたくさんあるようだ。そのような衝動・感情をすべてを「理性」で飼いならすのがベストとも思えない。「現実離れ」しているところはいっぱいあるものの、そういうところをいちいち批判していてはおちおち映画なぞは見ていられない。
 ただ、あえて言えば主役の3人の心の葛藤みたいなものがもう少し描けていればより良かったのではないかと思う。この物語自体が姉の雪ちゃんの回想という形をとっており、ナレーションを通して彼女の心の遷移みたいなものが多少は表現されているが、母親の花さんはあまりにもあっけらかんとしすぎており、一見子供たちの悩みなどにまったくと言っていいほど関心がない(というより無知の)ように見えるし、弟の雨ちゃんが最後にオオカミになって自然の中に飛び出していくのも多少の伏線が描かれてはいるもののちょっと唐突すぎるのは否めないような気がする。もう少し親子での内面のやり取りがあってもいいのではないか。ただ、この程度の映画に明確な何かの教訓とか結論を求めるものではないと思うし、作者・監督が何を意図していたかは知らないが、自分なりに「よきに」解釈すればいいのである。娯楽+アルファ程度に考えて、自分がいいと思えばいいし、よくないと思えばよくないのである。というわけで、私は画像の美しさもあって、85点ぐらいの評価をしたいと思う。
ただ、孫のようなまだ年端もいかない子供の心にどのような影響を与えるのかはよく分からない。が、根拠はないものの、そんなに心配することもないのではないかと思います。私の孫が、この映画のどこが気に入って、再度見たいと思ったのか、聞いてみたいとは思うが、たぶん聞いても「なんとなく」とか「雪がかわいい」とかのレベルではないかと思うが、もうちょっとしっかりした返事があれば見上げたものである。

 
 
 
以上

2012.9.1
  Yukikaze

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.9.1)


昨日の金曜日8月31日(金)、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第9回目の短歌教室があった。

(1) 鳥がなく東の果ての陸奥(みちのく)に浄土ヶ浜とう場所ありという
   
   ・単なる「説明」になっている
   ・「鳥がなく東の果ての陸奥(みちのく)に」はイントロが長すぎて、
         言葉が「過大」     
    すぎる    また、「鳥が鳴く」なんて枕詞はあまり使わない
   ・「とう」などという表現は今はあまりつかわないので使わないほうが
         よい。
         「と言う」でいいのではないか   
   ・また、後に「ありという」という同じ言葉が続いて出て来るのもNG
 
→ → 「 みちのくに浄土ヶ浜と呼ぶ浜のあるとし聞けば訪ね行きたし 」


(2) 亡き妻と亡き子も住むとう浄土ヶ浜海わたりわれは訪ねて行かむ
  
   ・また「とう」という言葉を使っている   
   ・また、「浄土に住む」とは言わない
   ・「海わたり」も真実と合わないのではないか

→ → 「 浄土ヶ浜訪ね行かむか。亡き妻と亡き子にあるいは逢える
               かもしれず 」


(3) 山も野も道べの草もしんしんとただ蝉しぐれ聞くふるさとの夏
   ・「山も野も」や「ふるさとの夏」という表現は通俗的で言い古された
          言い方だ
   ・「故郷の夏」という言い方は表現が甘い
   ・この言い方だと「山、野、草」が「蝉しぐれを聞く」と言うことになり変だ
   ・「しんしんと」を情緒的に使っているのでが浮いてしまっている
   ・「しんしんと」が上の「山、野、草」に係ることはない
   ・「蝉しぐれを聞く」とは言わない    「蝉しぐれ降る」である

→ → 「 山なかの木も道べの荒草も降るごとく啼く蝉を聞きおり 」

ということで、今回は意に反して大幅に直されてしまった。 しかし、先生が言っていることももっともであり、今後ともよく注意していきたい。

2012.9.1
  Yukikaze


日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.8.31)

8月31日の短歌教室用として下記の3首を提出した。


(1) 鳥がなく東の果ての陸奥(みちのく)に浄土ヶ浜とう場所ありという
浄土ヶ浜その1
浄土ヶ浜その2
浄土ヶ浜その3(夕景)
浄土ヶ浜その4(夜景)
これは単純に説明的な歌になってしまった。「それがどうしたの」と言われるかもしれない。

(2) 亡き妻と亡き子も住むとう浄土ヶ浜海わたりわれは訪ねて行かむ
浄土ヶ浜の観光船
浄土ヶ浜に寄せる波
「海わたり・・・」としたのは、浄土ヶ浜へは上記写真のように船で行くものとの印象からである。


(3) 山も野も道べの草もしんしんとただ蝉しぐれ聞くふるさとの夏

蝉しぐれその1
蝉しぐれその2

「しんしんと」は「森森と」と書いて、「『奥深く静まりかえっているさま』を表す」、と辞書にありその意味で使ってみた。

2012.8.31
    Yukikaze