2012/12/26

短歌・俳句の風景 -その124(2012.12.26)

今回は、宮柊二の有名な歌です。

『 昼間見し合歓(かうか)のあかき花のいろをあこがれの如くよる憶ひおり 』












  こういう経験はだれしもあるのではないか。 花でなくても風景とか、動植物、あるいは他人のちょっとした仕草とかいろいろあるかもしれない。 夜ふとんに入って、今日一日の事を思いめぐらすのもよくあることである。 また、それに次々と連想がつながっていき結局なかなか寝付けなくなったこともある。
  合歓は、夏に刷毛のような花を咲かせ、和名のネム、ネブは、夜になると葉が閉じること(就眠運動)に由来し、漢字名の「合歓木」は、中国においてネムノキが夫婦円満の象徴とされていることから付けられたものだそうである。 
  この歌は、高野公彦が、「作者が合歓の花を追憶しつつ、それと重ね合わせるように一人の女性の面影を思い浮かべているような気配を感じる」と評している。 また、「暗くはない静かな抑圧された青春の情熱を感じさせる秀作である」という評もある。 いずれにしても、陰影・含蓄のあるいい歌であると思う。

2012.12.26
    Yukikaze


2012/12/22

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.12.22)

昨日12月21日(金)、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第18回目の短歌教室があった。


(1) わが庭に猛暑厳冬咲き続くなでしこ愛(め)でて「おしん」をしのぶ

  先生曰く :真夏から真冬まで本当に咲き続けているのか? 
   なでしこはそんな長持ちはしないはずだ
   秋に植えたのではないか
  答えて曰く : 本当に咲いています
   今年の春に植えたのがずっと咲き続けています
   自分でも不思議に思っています

→ → → → 我が庭のなでしこは、おしんしのばせて真夏も真冬も咲き続けいる

→ → → → 我が庭のなでしこは、おしんしのばせて夏も真冬の今も咲き続けいる



(2)蒐集せる満州国の古切手見つつその民の苦難を思う

  今回の3首のうちではこの歌が一番いい  
  「蒐集せる満州国の古切手」とすると、満州の切手のみを収集しているようにも読める。
  この際、「蒐集せる」は取ってしまったほうがよい

→ → → → 満州国の古き切手を眺めつつ当時の民らの苦難を思う



(3) 幸せを運ぶがごとくにこにこ(2525)のナンバー持てる車続けり

  にこにこ(2525)の意味がわからない
  → 2525をにこにこと詠んだものです 
    2525ナンバーの車が2台立て続けに来たので詠んだものです 
  
  それなら、2525としてにこにことふるがなを付けること

→ → → → 幸せを運ぶが如き2525(にこにこ)のナンバーの車二台も続きゆく




そのほか、自分の歌ではないが印象に残ったものを一つ

Mさんの歌
  「 公園にイルミネーションきらめきてLEDの青寒々と見ゆ 」

先生 : このままでは、冬なのかどうかがわからない
  どうせ詠むなら、年末の感じを出したほうがよい
  LEDとか青とか言うのは冬のイルミネーションなら当たり前ではないか

→ → → →  公園にイルミネーションきらめきてなにか気忙(きぜわ)しく年暮近づく



2012.12.22
 Yukikaze



2012/12/20

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.12.20)

12月21日の短歌教室用として下記の3首を提出した。


(1) わが庭に猛暑厳冬咲き続くなでしこ愛(め)でて「おしん」をしのぶ

小さな庭といっても家の片隅の「スペース」であるが、今年の春に買ってきて植えたなでしこが初夏から今年の猛暑と今冬の厳寒を耐えてずっと咲き続けている。
なでしこが、こんなに長く咲き続けるとは全く思わなかった。




(2)蒐集せる満州国の古切手見つつその民の苦難を思う

切手蒐集は私の小さい時からの趣味であるが、社会に出て忙しくなってからはあまり熱心にはやっていない。 しかし、いつも「そのうち再開させたい」と思いつつ今まで
本気での再開には至っていない。 新しい切手にはあまり興味はなく、古い、戦前や特に19世紀の切手が収集の対象であるが、歴史や地理の勉強にもなる。 本気で近々再開させたいと思う。
 


     
       
























(3) 幸せを運ぶがごとくにこにこ(2525)のナンバー持てる車続けり

2525ナンバーの車は、ときどき見かけるが、つながって走っているのは初めてであった。
 


2012.12.20
       Yukikaze



2012/12/19

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.12.19)

先週の金曜日12月7日(金)、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第17回目の短歌教室があった。


(1) すでに亡き妻に届きぬ美容院の新装開店告げし絵はがき

・ 一つキズがある。何か。「告げし」は過去形、ここは「告げる」とすべき
・ 前半と後半を入れ替えたほうが分かりやすくなる。

→ → → → 新装開店告げる美容院の絵はがきが妻に届きぬすでに亡き妻に 
・ このように、言葉を繰り返えすことによって気持ちがつよくなり、思いがこもった歌になる
場合もある


(2) 路地裏に声あらあらと聞こえくる親を叱ると知りてわびしき

・ 「あらあらと」という言葉はない。 言うなら「あらあらしく」とすべき
・ このままだと「聞こえ来る」が次の「親」にかかるようにも読める
・ 「わびしき」などという言葉はなるべく使わないようにすること

→ → → → あらあらしく老いたる親を叱る声筒抜けに聞こゆ夕べの路地より

・ 「夕べ」が「朝(あした)」では歌にならない。 ここは、「夕べ」とすべき
・ 「夕べの路地より筒抜けに聞こゆ」では説明的になってしまい不可


(3) 亡き息子が隣の主婦の夢に顕(た)ち腹すかしいると告げしとぞ聞く

・ 「亡き息子が」の「が」は不要
・ 「告げし」という言葉はかたい感じがする
・ 息子を「吾子」トするのはどうか → → → そんな古臭い言葉は使わないほうがよい

→ → → → 隣の主婦の夢に顕ちたるわが亡き息子腹がすいたと洩らしたという

→ → → → 腹がすいたと洩らしたという隣の主婦の夢に顕ちたるわがなき息子
→ → → → 腹がすいたとわが亡き息子隣家の主婦の夢に顕ち洩らしいしとぞ

最後に、「詞書きは出来るだけ不要とするように、短歌のみで分からせるように努力
すること」とのお話があった。



2012.12.19
    Yukikaze



2012/12/05

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.12.5)

12月7日の短歌教室用として下記の3首を提出した。


(1) すでに亡き妻に届きぬ美容院の新装開店告げし絵はがき



新装開店の美容院
妻に届いた案内はがき



左上は、実際に届いた案内のはがきです


(2) 路地裏に声あらあらと聞こえくる親を叱ると知りてわびしき

路地裏



(3) 亡き息子が隣の主婦の夢に顕(た)ち腹すかしいると告げしとぞ聞く


サシバの渡り
昨日、偶然に道で出会った隣の奥さんから聞いた本当の話です。 水臭いなぁ~、息子よ  毎日ご飯、おかず、お茶はちゃんとお供えしているはずなのに、お腹かがすいているのなら なんで私に直接言わないんだ、と思った次第です。三回忌の法要は先週の土曜日にちゃんとやったんだけどなぁ~。 私の供養がまだ足りないのか。 

2012.12.5
 Yukikaze

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.12.5)

先週の金曜日11月30日(金)、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第16回目の短歌教室があった。


(1) 言い逃れ来て一人飲む居酒屋に忘れかねたる国なまりきく

・ 前半部分と後半部分とでそれぞれ単独の歌になる。
 もうちょっと内容を整理・単純化して2つの歌にしたほうがいいのではないか。
・ 「言い逃れきて」は不要。 もし入れるとすれば、何を言い逃れてきたのか、唄いこんだほうがよ  
 い。 「言い逃れきて居酒屋で飲む」だけで一つの物語になる。
・ 「忘れかねたる」という表現は感心しない。
 忘れようとしてもどうしても忘れられない、という表現にすべき
・ 「忘れかけたる」はどうですか → → →  もっと悪い
・ 「苦き思い出あまたあるゆえ忘れがたきふるさとのなれど忘れかねざる」といううたもある。

→ → → →  居酒屋で一人飲みつつなつかしきわがふるさとのの国なまりり聴く 

→ → → →  酒飲まぬかと誘われたれど断りて居酒屋のすみに一人来ており




(2) その母とその父若く手をつなぐ子はハミングしつつスキップしており
・ 何の歌ををハミングしているのか、今の季節なら、ジングルベルとか
・ この内容では、風景が見えない。 季節感も出ない

→ → → → ジングルベルをハミングしつつ幼子が若き父母と手をつなぎゆく

  

(3) 永眠という語のもてる厳しさを欠礼通知書きつつ思う

・ 今回の、3首のうちではこれがベスト
・ ただ、「厳しさ」という表現がちょっとしっくりこない

→ → → → 年賀状の欠礼はがき書きながら一人残されし寂しさ思う

→ → → → 賀状欠礼はがき書きつつ「永眠」なることばの重みつくずくと思う

→ → → → 「永眠」という語で死にしことを言う言葉の重さふとしも思う


今回もいろいろ言われて大幅に修正させられてしまった。

総評(受講者全員への)として、下記のお話があった。
1.歌おうとする対象が、歌になるのか、難しいのかよく検討してから仕事に取り掛かること
2.「書の道の果てなきことを思いつつ」という歌があったが、この「果てなきこと」という表現は、
 「通俗的」言いかえれば観念的であって中身がない。たとえば、道端の小さな花を見たときに、き
 れいだ、と感じたような一寸した事を詠みこむように努力、工夫をすること。
3.とにかく、観念的な内容にならないようにすること。
 ただし、観念的であっても「哲学的」に深める努力をすること。 常にそのことを深く考え思って
 いれば、自然そのようになっていくと思う。
4.感じた事をよく感じ、よく考え、考えた事を深めていく事を常に考え、心に留めておくこと
5.感じたこと(感覚)をよく考え(思考し)、考えたことを深めていく作業が「哲学」である。
 哲学的なことを感覚に戻して詠んでみる、という姿勢を持つこと。
6.姿勢として、「思考を深める」、「人生を深く考える」ことを継続していくこと。 
 俳句ではこういうことが出来ない。

今回は、作歌上の心構え、姿勢についての貴重なお話を頂いた。


2012.12.5
  Yukikaze


2012/12/01

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.11.28)

11月30日の短歌教室用として下記の3首を提出した。



(1) 言い逃れ来て一人飲む居酒屋に忘れかねたる国なまりきく


(2) その母とその父若く手をつなぐ子はハミングしつつスキップしており


(3) 永眠という語のもてる厳しさを欠礼通知書きつつ思う


2012.11.28
  Yukikaze