2012/05/25

短歌・俳句の風景 -その111

短歌・俳句の風景 -その111

以前、といってももう6年の前のことであるが、楽天のブログ(URL は下記
http://plaza.rakuten.co.jp/deusexmachina/diaryall ) に「短歌、俳句などのこと」と題して気に入った短歌および俳句を投稿していた。 これらは、自作のものではないが、新聞・雑誌などに掲載されたもので、自分なりに感銘を受けたものあり、その時は、110回で一応終了したのであるが、その後また書き留めてきた短歌、俳句がある程度の数になってきたので、再度投稿してみることにした。 タイトルは少し変えて「短歌、俳句の風景」としてみた。

111回目の今回は、高島野十郎という方の作品です。この方は、ろうそくの絵を描き続けた画家ということですが、私はまだ作品の実物を見たことはない。ただ、インターネットで調べてみると、ろうそくの絵だけではなくさまざまなものを対象に絵を描いていること、独学で絵の道に入り、透徹した精神性でひたすら写実を追求し、終生家族を持たず、画壇とも一切関わらず隠者のような孤高の人生を送った、とある。出身は筑後の久留米であり同郷の青木繁とも大の仲良しであったという。なお、Yukikazeも久留米ではないが筑後の出身である。




高島野十郎 「蝋燭」
高島野十郎 「信州の雪山」




『 花も散り世はこともなくひたすらに、
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaたゞあかあかと陽は照りてあり 』

金環日食1(2012.5.21 Yukikaze 撮影)

金環日食2(2012.5.21 Yukikaze 撮影)
これは、桜の花が散って、世の喧騒が静まっても太陽は何事もなかったように以前とまったく変わることなく世の中を照らしている、というのですが、よく考えてみると、花を自分の一生と置き換えることもできそうです。自分がいなくなっても、太陽や世の中は自分が生きていた時と全く変わることなく動いている。さらにそれを延長して考えれば、人類そのものが滅んでしまった後でも太陽はまったく変わることなく地球を照らし続けているのだ、というふうにも受け取れます。そういう意味で、この歌には「凄み」が感じられるような気がします。また、一種の、諦念、無常観にも通じる歌のようでもあります。

2012.5.25
   Yukikaze


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