2012/07/31

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.7.31)

8月3日の短歌教室用として下記の3首を提出した。

(1) 吉野川心もとなきもぐり橋
   aaaaaaaaaaaaaa渡れば近し亡き父の里

吉野川の潜水橋(もぐり橋)
吉野川にはこのようなもぐり橋がたくさんあり、亡き父の里の近くにもあった。
その潜り橋は7~8年前に「西条大橋」という立派な橋に架けかえられた。
もぐり橋は水の抵抗を減らすために欄干がなく、橋の幅も狭い。したがって、渡るときにはよほど注意をしておかないと川に落ちてしまう危険性が常に付きまとう。


 (2) 五月雨に堤防まさに危うしと
aaaaaaaaaaaaaa父生(あ)れし日の村史にありし

濁流
濁流と潜水橋










四国三郎と呼ばれた吉野川も日本のほかの大河と同じように相当な暴れ川であったようだ。江戸時代には、流域は二年に一度の割合で洪水に見舞われたとの記録もあるそうだ。とにかく、堤防の目いっぱいに濁流が流れているのを見るととても生きた心地もしなかったそうだ。


(3) 阿波踊り父には出来ぬ言いわけあり
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaa損得ずくで踊るものかと 

阿波踊り(女踊り)
阿波踊り(男踊り)
 
                                      
阿波踊りの歌の文句に「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」というのがあって、父は、「踊りを踊るのに『損損』とは何事だ。何も踊りは損得ずくで踊るものではないだろう」といつも言っていた。要するに、自分が踊れない、あるいは踊りたくないものだから、そのような理屈をつけて踊らない理由にしていたようだ。ただ、阿波踊りといっても、徳島のような都会ならいざ知らず、父の里のようなど田舎では、ことに戦争前の時代はほとんど踊ってはいなかったのではないだろうか。

2012.7.31
    Yukikaze



日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.7.31)

先の金曜日7月20日(金)は、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第6回目の短歌教室があった。

(1)残されし大きな鏡と多き服に亡き息子(こ)の
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaファッションへのこだわりを知る
「息子」と書いて「こ」と読ませるのは無理がある、また、「ファッションへのこだわり」は「ファッションのこだわり」でよい

→ → 「 大きな鏡と多くの服を遺こし逝きし
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa息子のファッションのこだわり思う 」


(2) 妻と子の遺影とわれをいくたびも
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaその大き鏡に映しては見る
「その」では分からない

→ → 「 息子のかたみの大きな鏡にいくたびも
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa妻と子の遺影と我を映し見る 」


(3) 目の前をまつわり飛べり蝶二匹
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaa逝きし妻と子が来たるがに見ゆ
この題材はよくあるので、あまり平凡にならないように注意すること

→ → 「 わが前をまつわり飛べり蝶二匹
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa逝きし妻と子を思いて見おり 」


今週の杜澤先生のコメントは、
(1)単なるストーリーに終わらせず、深みを追求しかつ潤いを持たせること
(2)平凡な言葉の羅列に終わらせないこと
(3)普通の言葉でいいので、単なる説明に終始しないこと
(4)「梅雨晴れ」は、梅雨が明けたことを意味する
(5)白南風(しらはえ)・・・梅雨明けの風
(6)黒南風(くろはえ)・・・梅雨入り時の風


2012.7.31
   Yukikaze

2012/07/25

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.7.25)

7月20日の短歌教室用に下記の3首を提出した。


(1)残されし大きな鏡と多き服に亡き息子(こ)の
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaファッションへのこだわりを知る


次男の服の一部(1)
次男の靴(1)


次男の服の一部(2)
次男の靴(2)


  次男が平成22年の12月に32歳で亡くなった。彼はファッションにものすごい思い入れを持っており、大きな鏡3枚とたくさんの服や靴などのアパレルグッズを残していた。これらはみな若者向きで、私みたいな60代後半の者にとっては実際に着ることはできないが、まだ処分出来ないでいる。


(2) 妻と子の遺影とわれをいくたびも
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaその大き鏡に映しては見る
大きな鏡とトルソー

彼は、このような大きな鏡に上記のような服を着て自分の姿をよく映していた。


(3) 目の前をまつわり飛べり蝶二匹
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa逝きし妻と子が来たるがに見ゆ


  このような光景を時々見かけるが、その時は、まさに亡くなった次男と妻がもつれあいながら自分に何かメッセージを送っているかのように感じます。

2012/07/19

短歌・俳句の風景 -その119(2012.7.19)

今回は短歌です。

「 頬にふるる指(おゆび)のさきにいのち生(あ)る、
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaものいひ給へ半跏思惟像(はんかしいぞう) 」

愛知県の I.K さんの作品です。


      
広隆寺の半跏思惟像
広隆寺の半跏思惟像の上半身

半跏思惟像というのは、正式には弥勒菩薩の半跏思惟像というらしく、さらにこの 弥勒菩薩の半跏思惟像というのはあちこちにあって、 とくに有名なのは上記写真の京都広隆寺のもの、奈良中宮寺のものだそうである。 いずれも右足を左足の腿にのせ、右手を曲げて、その指先きをほのかに頬に触れんばかりの優美な造形である。また、アルカイックスマイル(古典的微笑)と称される微笑みを浮かべており、神々しい気品にはあふれてはいるが、包容力ゆたかな慈母のような優しさにみち、いかにも人間の救いをいかにせんと思惟されるにふさわしい清純な気品をたたえた御仏である。   
この歌からは、 慈母のようなこの御仏を見たときの打たれるような、また本当にすがりつきたいと思う感動がまさに伝わってくるようです。

2012.7.19
  Yukikaze

2012/07/11

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.7.11)

先週の金曜日7月6日(金)は、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第5回目の短歌教室があった。


(1) かわたれの月の光は柔らかく
aaaaaaaaaaaaaaaaプラットホームに待つ人包む

「かたわれ」は薄暗い時のことで朝でも夕方でもよいが、通常は明け方に使う。しかし、このような古めかしい言葉は現代短歌では使わない法がよい。 

→ → 「 人気まだ少なき朝のプラットホーム
                 包むごとくに月影光る 」

→ → 「 霜ふかく寒さ厳しきプラットホーム
                 包むごとくに残月光る 」


(2) うなだれてマウンド去りゆくピッチャーに
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaわが青春の残映を見る

「わが青春の残映を見る」は、言葉に寄っている感じがある。また、「うなだれて」はもうすこし具体的に言ったほうがいいのではないか。
→ → 「打たれ崩されマウンド降りゆくピッチャーの
             背中をわれの如しと見ており 」


(3) 父の日に父若き日の写真など
aaaaaaaaaaaaaaaa不意に飾ってみたくなりたり

「父」は存命なのか。→ → 一昨年無くなった。   「不意に飾ってみたくなりたり」とあるが、飾ったのかどうか

→ → 「 若き日の亡き父の写真
               とり出してきて机に飾る 」

今週の杜澤先生のコメントは、
(1)現代短歌としての視点を持って、発想、題材を新しくしていくこと
(2)短歌は、近代短歌 →  現代短歌へと変化してきている。古めかしい言葉はなるべく使わずに現代風に詠むこと


今回提出した短歌は自分としてはそれなりにの出来だと思っていたが、かなり手が入ってしまった。先生の指摘を今後の作歌に反映させていきたい。

2012.7.11
      Yukikaze

2012/07/04

短歌・俳句の風景 -その118(2012.7.4)

今回は俳句です

    『 鳥雲に雲に溺れしものなきか 』

     さいたま市のF.K さんの句です。

読売俳壇の選者である矢島さんの評に、
「 北に帰っていく渡り鳥たちが、『雲に溺れ』ないだろうか、という飛躍した思いに感銘する 」 とあった。 まさにその通りで、そのような発想・着想の豊かさに感嘆する。渡り鳥たちよ、どうかみんな無事に目的地にたどり着いてほしい、という祈るような気持ちがよく伝わってきます。


渡り鳥



 

2012.7.4  
 Yukikaze
    


短歌・俳句の風景 -その117(2012.7.4)


今回も短歌です

       『 ゆれゆれて蠟涙たるる春燈の
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaやがて穏しき静寂(しじま)きたりぬ 』

 つくば市のU.K さんの作品です。

揺れるろうそくの炎と蠟涙
 一本のろうそくがともされて消えるまでは、短い時間ではあるがあたかも人生の縮図を見るようでもある。消えるまでには、静かな時もあるし風で炎が揺れに揺れることもある。しかし燃え尽きた後は当然のことながらまた「しじま」の世界に戻っていく。この歌には、その情景が見事に表現されているように思います。

2012.7.4
  Yukikaze

2012/07/03

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.7.3)

7月6日の短歌教室用に下記の3首を提出した。

(1)かはたれの月の光は柔らかく
aaaaaaaaaaaaaaaaプラットホームに待つ人包む

夜明け前の一瞬、あたりはまだ薄暗い中をプラットホームで通勤電車を待っている人がちらほら見える。その人たちの今日の幸せを祈るかのように月の光が柔らかく照らしている。

かはたれの街並みと月

(2) うなだれてマウンド去りゆくピッチャーに
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaわが青春の残映を見る

テレビなどでよく見る光景である。実力の世界では仕方のないことであるが、ふと、自分の過去と照らし合わせてみた。

うなだれるピッチャー

(3) 父の日に父若き日の写真など
aaaaaaaaaaaaaaaa不意に飾ってみたくなりたり

父は、一昨年(2010年)の1月に93歳で亡くなった。父の日になんとなく懐かしくなって、まだ元気なころの写真を取り出して飾ってみた。


2012.7.3
  Yukikaze