先週の金曜日7月6日(金)は、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第5回目の短歌教室があった。
(1) かわたれの月の光は柔らかく
aaaaaaaaaaaaaaaaプラットホームに待つ人包む
「かたわれ」は薄暗い時のことで朝でも夕方でもよいが、通常は明け方に使う。しかし、このような古めかしい言葉は現代短歌では使わない法がよい。
→ → 「 人気まだ少なき朝のプラットホーム
包むごとくに月影光る 」
→ → 「 霜ふかく寒さ厳しきプラットホーム
包むごとくに残月光る 」
(2) うなだれてマウンド去りゆくピッチャーに
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaわが青春の残映を見る
「わが青春の残映を見る」は、言葉に寄っている感じがある。また、「うなだれて」はもうすこし具体的に言ったほうがいいのではないか。
→ → 「打たれ崩されマウンド降りゆくピッチャーの
背中をわれの如しと見ており 」
(3) 父の日に父若き日の写真など
aaaaaaaaaaaaaaaa不意に飾ってみたくなりたり
「父」は存命なのか。→ → 一昨年無くなった。 「不意に飾ってみたくなりたり」とあるが、飾ったのかどうか
→ → 「 若き日の亡き父の写真
とり出してきて机に飾る 」
今週の杜澤先生のコメントは、
(1)現代短歌としての視点を持って、発想、題材を新しくしていくこと
(2)短歌は、近代短歌 → 現代短歌へと変化してきている。古めかしい言葉はなるべく使わずに現代風に詠むこと
今回提出した短歌は自分としてはそれなりにの出来だと思っていたが、かなり手が入ってしまった。先生の指摘を今後の作歌に反映させていきたい。
2012.7.11
Yukikaze
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