先週の金曜日、3月15日に浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第23回目の短歌教室があった。
(1) 「去る者は日日に疎し」がまことならばいかばかりかとひび思いいる
先生より、「去る者日日に疎し」とは、以前は親しかった人も遠ざかれば次第に親密さが薄れるものだ、といった意味合いの表現であって、「去る者」は「亡くなった人」ではない、ということの説明があった。 パソコンで検索してみると、「去る者は日々に疎しとは、死んだ者は日が経つにつれ世間から忘れられていき、親しかった者も遠ざかれば日に日に交情が薄れていくということ。 」という説明がトップに出ており、私の解釈もあながち誤りではないように思うが、ここは先生の解釈に従っておきたい。先生の添削
→ → → 「去る者は日日に疎し」がまことならばいく人(たり)の友が真の友なる
→ → → 「去る者は日日に疎し」はまことにて友よりの年賀状年ごとに減る
(2) 思惟深めるごとくに指を頬に触れ弥勒菩薩のおもざしやさし
この場面では「思慮」という言葉は重すぎる。また、弥勒菩薩は、目を伏せて下を向いており、「おもざし」というものは持っていない。
→ → → 思いを深めるごとくに指を頬にあて弥勒菩薩はまぶた伏せいます
(3) アスファルト持ち上げ破る走り根を羨望もありてあかず見ており
「破る」よりは「割れる」の方がいいのではないか、また、羨望という言葉もかたい感じがする。
→ → → アスファルト持ち上げ割れる走り根を羨望持ちてしばらく見つめる
私の歌ではないが、Koさんの歌
「 川土手の桜並木の枝枝の薄紫にかすみ春来る 」
先生 : 枝枝が「かすむ」事はないはず。
→ → → 多(さわ)の蕾ふくらみそめしか彼岸近し桜の並木仄(ほの)めきて見ゆ
2013.3.18
Yukikaze
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