2012/06/30

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.6.30)

先週の金曜日6月29日(金)は、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第4回目の短歌教室があった。


1.しらぬいの筑後の国やふるさとは
                  菜の花つつじ櫨(はぜ)多き国

菜の花は日本全国どこにでもあるのではないか。

→ → 「 しらぬいの筑後の国のふるさとや
                     初夏にはつつじや櫨の花咲く 」


2.朝な夕な眺めし山は三池山(みいけさん)
                    わがうぶすなの神すまう山

現代の感覚でいえば、「すまう」より「います」のほうがいいのではないか

→ → 「 朝な夕なに眺めしふるさとの三池山
                     わがうぶすなの神います山 」


3.うぶすな神すまう山より高き塔の
                 天望に立ちて何によろこぶ

展望台はどこの塔にもある。また、「何によろこぶ」という表現は曖昧すぎるのではないか。

→ → 「 ふるさとの神います山より高けれど
                       スカイツリーはなにか味気なし 」


今回提出した短歌は自分としてはまあまあの出来だと思っていたが、かなり手が入ってしまった。ただ、私の感覚としては、いずれも原歌のほうがいいのではと思っているが、どうだろうか。

2012.6.30
Yukikaze

2012/06/23

日々の風景 ー短歌教室(提出)(2012.6.23)


6月29日の短歌教室用に下記の3首を提出した。

私が生まれてから18歳まで過ごしたのが福岡県大牟田市、福岡県の最南端の市である。昔でいえば「筑後」、藩でいえば「三池藩」のテリトリーだ。三池藩は1万石という外様の小藩だが、藩主は幕政にも参与し、若年寄になったこともあるそうだ。 さて、大牟田にはもう20年も帰ったことがないが、近々帰ってみたいと思っている。どんなに変わっているのだろうか。私が住んでいたころは、炭鉱もその関連産業まだ活気があって人口も20万人を超えていたと思う。しかし、いまは炭鉱も閉山し、人口もなんと12万5000人という凋落ぶりだそうである。しかし、さっきウエブを見ていたら、2007年フォーブス誌「世界の最もきれいな都市トップ25位」に神戸とともに選定されたそうだ。そのような明るい話題もないことはないようであり、今後もなんとか明るい話題を作っていってもらいたいものだ。

  筑後はご承知のように、菜の花、つつじ、櫨が多いことで知られており、次の歌となった。 

(1) しらぬいの筑後の国やふるさとの
bbbbbbbbbbbbbbb菜の花つつじ櫨(はぜ)多き国
筑後川と菜の花
久留米つつじ
櫨の紅葉

(2) 朝な夕な眺めし山は三池山(みいけさん)
bbbbbbbbbbbbbbbbbわがうぶすなの神すまう山

三池山には何度となく登った。高さは388mで特別高いわけでもなくまた頂上からの見晴らしもそんなに良いわけでもないが、本当に懐かしい山である。

大牟田と三池山の位置
三池山

(3) うぶすな神すまう山より高き塔の
bbbbbbbbbbbbb天望に立ちて何によろこぶ

結局、これを言いたかったのです。天望回廊は450mだそうだが、三池山より高い。「 ○○と煙は高い所に登りたがる」というが、なんでみんなそんな高い所に登りたがるのかが理解できない。



2012.6.23
   Yukikaze

2012/06/22

日々の風景 -孫へのプレゼント(2012.6.22)

6月17日に、新潟の娘から「父の日」ということで宅配便が届いた。そのお返しというわけでもないが、6月19日に孫二人におもちゃを買ってプレゼントした。5歳の女の子には「だいすきなおばあちゃん」と題した「リカちゃん人形」、3歳の男の子には「ダイヤブロック」。翌20日には届いたみたいでさっそく二人の孫からお礼の電話がかかってきた。娘の話によると二人ともものすごく喜んでいるとのことで安心した。とくに、「ダイヤブロック」を3歳の子がすでに持っているのではないかと内心ビクビクしていたが、持っていないということで、よかった。また、「だいすきおばあちゃん」のリカちゃん人形は、新聞でも紹介されていたが、かなり好評らしい。私の家内、すなわち孫たちにとってはおばあちゃんが今年の2月に亡くなったのでその思い出に、という意味もないことはない。何はともあれ、二人に喜んでもらえてこれ以上のことはない。

3歳と5歳の孫
だいすきなおばあちゃんのリカちゃん人形

ダイヤブロック
2012.6.22
   Yukikaze

2012/06/20

短歌・俳句の風景 -その116

今回は短歌です。


『月日やは過ぐは行けども母父(おもしし) が
                                       珠の姿は忘れせなふも』

防人群像

万葉集にある防人歌(4378)で、中臣部足國という人の歌です。


「忘れせなふも」の「なふ」は「ない」の祖形だそうで、「忘れもしないことだ」という意味だそうです。

月日はどんどんと足早に過ぎ去っていくけれども、母と父の珠のような姿はいつまでも忘れることができない。
このような感情は何千年たっても変わることのないものだと思います。

「父母」ではなく「母父」というところがなんとも言えません。

私の父も学校を卒業してからは、四国の実家を離れて兵庫、福岡で会社勤めをして実家に戻ったのは両親が亡くなったずっと後でした。

そのような生活形態は今や珍しくありませんが、言ってみれば現代の「防人」と言えないこともないように思います。


2012.6.20
  Yukikaze



2012/06/18

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.6.18)

先週の金曜日6月15日(金)は、浦和パインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第三回目の短歌教室があった。


1.じじばばの夢はひろがる初孫の
                               未来は女医さんいや女優さん

女の子の将来の職業は、女医さんや女優さんだけではないだろう。

→ → 「初孫の女の子の将来を思いつつ
                                     じじばば我ら夢が広がる」


2.言いたきこと怺(こら)えしときも多かりき
                                   宮仕えの日々は遠くなりたり

なんとなく平凡に流れている。また、内容的には前段と後段で言っていることがほとんど同じ。「宮仕え」という表現もオーソドックスに「会社勤め」としたほうがよい。

→ → 「言いたきこと怺(こら)えるときも多かりしが
                                             会社勤めの日々遠くなりたり」


3.彼岸花嫌う妻は病み眠りたり
                         ともに見し野にひがんばな咲く

「妻は病み眠りたり」は妻はもう亡くなっていると解釈すれば以下のようにしたほうがいいのではないか。

→ → 「彼岸花を嫌いし妻も今は亡く
                                  ひがんばな咲く野を一人いく」


今日は、受講者の歌にからんで杜澤先生の歌が一首披露された。

「罪科(つみとが)のなき証にて首などという
                                 くびれ目を魚(うお)らは持たず」

今日の先生のお話は、
(1)できるだけ上記の例のような「思想詠」を詠むように心がけること
(2)とにかく、何を言おうとしているのかが分かる歌にすること

いろいろと勉強になった。

2012.6.18
   Yukikaze

2012/06/13

日々の風景 ー短歌教室(提出)(2012.6.13)

6月15日の短歌教室用に下記の3首を提出した。

1.じじばばの夢はひろがる初孫の未来は女医さんいや女優さん

 もう6年も前になるが初孫が生まれた。 女の子であったが、健康で素直な子に育つのが第一であることは言うまでもないが、それでも上記のように夢は広がった。
女医さん
細雪の女優さん

2.言いたきこと怺(こら)えしときも多かりき 宮仕えの日々は遠くなりたり

  いろいろな事情もあってこのようなことも多々あった。


叱責
3.彼岸花嫌う妻は病み眠りたり ともに見し野にひがんばな咲く

  妻は今年(2012年)の2月5日になくなったが、3月20日のお彼岸のころにはあちこちに彼岸花、別名まんじゅしゃげの花がたくさん咲いていた。それを見るとしんみりした気持ちになった。
彼岸花

  2012.6.13
     Yukikaze


短歌・俳句の風景 -その115

今回も俳句です。

 みよし市の、F.Sさんの作品です。

 『 最晩年ならむ麦の穂ざらつきて 』

 何かの折に免れがたく湧き上がってくる晩年意識。それを示唆するのが麦の穂の『ざらつき』である。麦への郷愁やみがたき句だ(宇多喜代子)。

麦の秋(麦秋)

 この「麦の穂ざらつきて」という表現は素人には簡単には思いつかないが、何かの拍子にあるいは逆に推敲を重ねた結果、自分の「老い」の感覚と瞬間的に一致したときがあったのだろう。いずれにしても、客観的に見ても素晴らしい句だと思います。

麦の穂

2012.6.13
   Yukikaze

短歌・俳句の風景 -その114

今回は俳句です。

   『 暗きより来りて暗きへ踊りゆく  』

 俳人の、西村和子 さんの作です。

 この歌は、盆踊りの老若男女の踊りの輪をある一方向から眺めていたときに詠んだものだろう。

 人は暗いところからきて暗い所へ去る。空海の「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」 の「生まれ生まれて生の初めに暗く、死に死んで終わりに冥(くら)し」という言葉を思い起こさせる(長谷川櫂)。

盆踊り
まさに人の世の「はなやかさ」と「はかなさ」を見事にとらえた句だと思います。

2012.6.13
 Yukikaze

2012/06/02

短歌・俳句の風景 -その113

今日は、土屋文明の歌です。

  『 この母ありこの父ありて吾ぞありたりし
                                   亢ぶり思ふべきことにもあらじ 』

岩崎きみ 鰺ヶ沢町 
海の駅「わんど」




岩崎きみ小樽市 
運動公園「赤い靴の少女」
靖国神社 母の像


  説明は不要だと思いますが、母のほうが先に来ているところがポイントのように思います。

2012.6.2
   Yukikaze

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.6.2)

昨日6月1日(金)は、浦和パインズホテルB1Fの「よみうりカルチャースクール」の短歌教室があった。私は2回目の参加。先生は、杜澤先生 今日は、まず私の投稿歌3首から添削に入った。初めに先生から、「和田さんはどこかの結社に入っていますか。」 否 「どこかに投稿していますか」 否 という問いかけから始まり、今日の和田さんの歌はかなり良くできている、とのお褒めの言葉をいただいた。しかし、実際の添削に入ると、添削後はもともとの投稿歌とはかなり違ったものになってしまった。

1.亢(たか)ぶること少なくなりぬと吐息つつ
                                      雨にぬれいるわれもこう見る   

「吐息つつ、という言い方はない 『し』を入れて、吐息しつつとすべき」、「亢ぶる、という字は常用漢字にはない  昂る、のほうがよい」、「われもこう、は吾亦紅と漢字で書いたほうがよい ∵ 『ぬれいるわれも』とひらがなばかりでは読み間違えられてしまう」、「この順番では説明的になりすぎる 吾亦紅みる、を前に持ってきたほうがよい」

→ → 「雨に濡れいる吾亦紅見おり
                                 昂ること少なくなり来し吾を思いつつ」


2.遥かなる時を隔てて至宝となる
                             合掌土偶を息のみて見る    

「前の歌も『見る』で終わっている  偶然だろうが、話したほうがよい」、「・・・至宝となる、までが合掌土偶にかかる修飾語となっており『頭でっかち』である。 バランスが悪い」、「『息のみて』というのはすさまじい驚きを表す語であり、この場合『嘘っぽい』 『見惚るる』ぐらいがよい」、「添削例のごとく、『連体止め』+『体言止め』としたほうが感動が伝わりやすい」

→ → 「美しさにしばし見惚るる古墳より
                                      出土せし小さき合掌土偶」


3.次の世もせわしくあらむわが妻は
                           四月(よつき)経ちても夢にだに出ず

「短歌では四月(よつき)という言い方はしない  四箇月というべき」、「だにでず という言い方はつまった感じで舌を噛みそうだ さえでず のほうがマシ」、「『次の世』という言い方は一般的ではない 『あの世』でいいのではないか」

→ → 「あの世に逝きても忙しき妻か
                                   四箇月経ちしが夢にもあらわるるなし」

今日もいろいろ言われたが、勉強になった。
ただ、先生の添削には納得できるところもあるがそうでないところもある。
今後も、きっちり推敲した歌を提出していきたい。

2012.6.2
   Yukikaze

2012/06/01

日々の風景 -さきたま古墳群(2012.6.1)

 すでに旧聞に属するが、今年3月15日に「さきたま古墳群」というところに行ってきた。前々から一度行ってみたいと思っていた場所だ。JR高崎線・行田駅下車、駅前の観光案内所でパンフレットをもらい、歩いて「さきたま古墳群」があるさきたま古墳公園に向かった。さきたま古墳群までは結構遠かった(たぶん4~5Kmぐらい)が、途中に石田光成の水攻めに耐えたことで有名な忍城および水城(すいじょう)公園があった。時間がなかったので水城公園はほとんど見なかったが、かなり大きな池などがあり広々とした公園のようである。水城公園から1Kmぐらい歩くとさきたま古墳公園が見えてきた。なお、実際に歩いて行くには、行田駅からよりも1つ大宮よりの「北鴻巣駅」からのほうが近いようだ。この古墳群を「世界遺産」に登録しようとする運動があるみたいで、そのことを訴える大きな看板が立っている。さて、「さきたま古墳群」には、500m×800mという狭い範囲に、かっては40基を越える古墳が堀を接して密集していたそうで、現在でも前方後円墳が8基、円墳が1基の大型古墳が残っている。築造年代は、5世紀後半から7世紀初めごろまでで、その150年間に次々と作られたことが分かっているということだ。愛宕山古墳、二子山古墳、将軍山古墳、稲荷山古墳、丸墓山古墳、瓦塚古墳、鉄砲山古墳などを見て回ったが、私は前方後円墳を見たのは初めてで、1500年も前にこんなに大きな古墳を築造したのかと思うと、少々感動を覚えた。当然重機はないので、すべて人力でやるしかなかったわけで、相当な意思・覚悟と組織力がなければ出来そうもない。当時、このあたりにそのような強力な組織力と権威を持った地方豪族がいたということだろう。また、ここの稲荷山古墳からは国宝に指定されている、「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」が出土している。その鉄剣は雄略天皇に護衛隊長として仕えた、乎獲居(おわけ)という人物が西暦471年に作らせた、ということがその銘文から明らかになっており、年代がきちっと判明している資料としては日本最古のものだということである。二子山古墳は、武蔵の国では一番大きな古墳だそうだ。また、丸墓山古墳は積まれている土の量は二子山古墳より多く、また円墳としては日本一大きいそうだ。一方、愛宕山古墳はほかの前方後円墳に比べてかなり小さいにもかかわらずその表面にはたくさんの木が生えていて見ていて可哀そうで痛々しかった。これらの古墳群は、30年ほど前まではほとんど手入れされることなくいわば放置の状態だったようであるが、その後その重要性が認識され整備が始まり、今も整備はまだ継続中のようであった。また、公園内には、埼玉県の県名由来の説明板が設置されている。「埼玉」の名は、武蔵国多摩郡の奥にある土地の意味で「さきたま(前多摩・先多摩)」が転じた、「さき(前)」「たま(湿地の意味)」の意味から転じた、その他「さきたま(幸魂)」が転じた、などの説があるが、いずれにしてもこの行田付近がその地名の発祥地であることに変わりはないようである。

水城公園の案内図
水城公園

さきたま古墳群の
「めざせ世界遺産」の看板
さきたま古墳群の案内板

愛宕山古墳の案内板
愛宕山古墳

二子山古墳の案内板
二子山古墳

二子山古墳
将軍山古墳の案内板

将軍山古墳
将軍山古墳の埴輪

将軍山古墳の被葬者
稲荷山古墳の案内板

稲荷山古墳
金錯銘鉄剣の解説

丸墓山古墳の案内板
丸墓山古墳

瓦塚古墳の案内板
瓦塚古墳

鉄砲山古墳の案内板
鉄砲山古墳

中の山古墳の案内板
中の山古墳

埼玉県の県名由来の説明板
ガイドブック
さきたま古墳群


3月15日は春とはいえ、まだ肌寒く風が冷たい日であったが、感動を覚えながら見て回ったことを覚えている。

2012.6.1
   Yukikaze