2013/05/16

大牟田おもいで紀行(3/5)(三日目、4月22日(2/2)、おもいでの母校)

 また、22日は思い出の母校に行ってみた。最初は、63年前に通った天使幼稚園 http://www18.ocn.ne.jp/~omutensi/。私は、毎日青葉町の家からバスに乗って通った。バス停までも結構あったしよく通ったものだと思う。この幼稚園は建物自体はもちろん違うが、今でも昔の場所に同じ名称でちゃんと存在していた。私が通ったころは、トタン作りのかまぼこ型の建屋だった記憶がある。オーストラリアからのカトリックの神父さんが来ていたように思う。


63年前の天使幼稚園の入園写真
62年前の天使幼稚園の卒園写真











現在の天使幼稚園礼拝堂

現在の天使幼稚園














 その次は、不知火小学校だが、これはもうかなり前に、多分今から25年~30年ぐらい前に、隣の笹林小学校と統合されて、名前も大牟田小学校と変わっていると聞いた。その跡地は、「大牟田文化会館」と言う施設になっている。いろいろの催し物を行うホールとプラネタリウムなどが設置されているようだ。


62年前の不知火小学校の入学写真
厳しかった角先生
56年前の不知火小学校の卒業写真
懐かしの中道先生











当時の不知火小学校の正門



大牟田文化会館正門
不知火小学校跡地
大牟田文化会館外観












 その次は、延命中学校 http://www.e-net21.city.omuta.fukuoka.jp/enmei-jh/。ここは当時の建物がそのまま残っている。事務の方とお話をしていたら、校長先生に取り次いでもらえた。驚いたことに、いろいろ話しているうちに、今の井上校長先生は、なんと我々がこの延命中学で歴史を教えてもらった井上先生のご子息であることが分かった。何か懐かしい思い出いっぱいになった。聞くと、この延命中学校も2年後には、隣の右京(うきょう)中学および船津中学と統合され、名前は変わるが右京中学校が存続校になり、延命中学も廃校になるとのことであった。なんでも、今は、一学年52人~53人しかおらず二学級維持するのがやっととのことである。我々のときは、一学級50人目いっぱいいて、9クラスまであったので、単純に計算して一学年450人の児童がいたことになる。それが、今は53人であるから、児童数は9分の1になった勘定になる。一方、大牟田の人口は、私がいたころは23万人超であったが、今は12.5万人だそうである。ざくっと言って、半分になってしまっている。これは要するに、人口は半分、中学生は1/9ということであるので、いかに我々のような老人が多く、若者が少ない街になっているのかの証左であろう。

56年前の延命中学校の入学写真
横道にそれてばっかりの古賀先生
53年前の延命中学校の卒業写真
優しくも厳しかった笠間先生










延命中学校の校舎
53年前と同じ建物
現在の延命中学の校長先生
(井上先生)と














延命中学校校歌


なお、高等学校は、久留米であり翌日の23日に訪問した。

以上、4月22日の母校訪問記でした

2013.5.16
   Yukikaze


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