2013/05/16

大牟田おもいで紀行(4/5)(四日目、4月23日)

 23日は久留米経由で福岡に戻る予定。 8時過ぎにホテルを発って、昨夜T君から招待されていたので、まずT君の自宅に向かう。彼の家は大牟田の北の方にあって、これから久留米、福岡と向かうには都合がいい。彼は会社を退職後、郷里の大牟田に帰り好きなお茶の先生をやっているらしい。玄関から茶室への通路も木々がこんもりとしていて趣深い。にじり口から入って、お茶をふるまってもらった。そのあと小一時間ほど奥さんも入って、思い出話や世間話などリラックスした時間を過ごした。

T君の茶室へのアクセス
T君の茶室でT君と











 T君の家を10時過ぎに辞して、一路久留米に向かった。13時30分に大津留先生と母校の久留米大学附設高校で会う約束であり、あまり時間もなかったがそれまでの時間を利用して「石橋美術館 http://www.ishibashi-museum.gr.jp/ 」に行くことにした。東京の八重洲口に「ブリヂストン美術館」があるが、ともにブリジストンの創業者石橋正二郎が創設した姉妹館だとのことである。館内には、地元出身の青木繁の「わだつみのいろこの宮」や「海の幸」、坂本繁次郎の「放牧三馬」、地元出身ではないが、黒田清輝の「針仕事」、安井曾太郎の「薔薇」、藤島武二の「天平の面影」などびっくりするような名画がずらりと展示してある。高校時代に何回か来たことはあったが、今改めてその内容・レベルの高さを再認識した次第である。


石橋美術館正面
石橋美術館の庭園









世界の人々の楽しみと幸福のために
石橋美術館寄贈碑











青木繁
わだつみの
いろこの宮

青木繁 海の幸
安井曾太郎
薔薇
藤島武二
天平の面影

 13時ごろにこの石橋美術館を後にし、母校の久留米大学附設高校 http://www.mii.kurume-u.ac.jp/fusetsu/ に向かい、同校の「同窓会室」で大津留先生と面会した。大津留先生は、私が在学した1960年から1963年(昭和35年~昭和38年)時にはおられなかったが、その後国語の先生として赴任されたそうである。先生は、短歌に造詣が深く、附設の先生時代から現在に至るまで短歌の普及・啓蒙および後進の指導に非常な熱意を持ってあたられており、現在もそれは続いている。毎年宮内庁が主催している「歌会始の儀」に先生が指導されている久留米付設から、3名の生徒が預選歌として入選しており、また、先生ご自身も、平成9年の「歌会始の儀」に下記の歌が預選歌となっている。

  『 あかときのひかりのなかに髪を梳(す)く白寿の母の姿しづけし 』  
                     福岡県 大津留 敬   平成九年一月十四日

 一時間ばかり短歌のお話をメインに、現在の状況や苦労話などをお伺いした。なお、大津留先生に関しては、先生を慕う久留米附設の卒業生有志で作っている、「大津留学校」なるものがあって、毎年1回~2回、先生の上京の折を見て、講演会や先生を囲む会などの催しを行っているようである。

 さて、母校である久留米大学附設高校は、いまは、男女共学の中高一貫校となって、立派な校舎が建ち並んでいるが、私が通っていたころ(今から53年前)は、高校のみの男子校であった。場所も久留米大学商学部の敷地の片隅の兵舎跡であり、中央に通路があって、両側に教室がある古い建物であった。今は、その校舎あとは久留米大学のテニスコートになっている。私は大牟田の家からバスに乗って西鉄大牟田駅まで行き、そこで西鉄電車に乗り替えて西鉄久留米まで行き、そこからまたバスに乗って商学部前まで毎日通ったものである。多分、片道1時間半はかかっていたものと思うが、記録を見てみると、私は皆勤賞をもらっている。よく通ったものだと今更感心する。この高校では、その後の生き方や考え方に影響を与えた、重要ないろいろなことを教えてもらった。目をつむれば、当時の先生方の熱心な講義の様子がまざまざと眼に浮かぶ。


久留米大学附設中学校
高等学校校舎
校舎への道









校歌
大津留先生と












 大津留先生と別れた後、久留米で九州自動車道に入り途中から福岡高速に入って、大野城で高速を下りた。そこから、M君の家の前まではナビでスムーズにたどり着くことができた。M君は、大牟田の延命中学校の3年生の時同じクラスだった仲だ。長く郵便局に勤めて、今は悠々自適の生活。彼の結婚式の時の司会をやったのは44年も昔のことだが、昨日のことみたいだ。一旦、家にお邪魔をして、奥さんも含めて一時間ほど3人で思い出話に花を咲かせた。奥さんとはそれこそ44年ぶりだが、なんとなく記憶がよみがえったような気がするし、彼女も同じようなことを言っていた。奥さんも同じく郵便局に勤めていた由。一時間ほどして、M君と二人で私のレンタカーで福岡に出発した。まず、本日の宿泊ホテルである「コートホテル博多駅前」にチェックインをして荷物を預け、そのあと天神のバジェットレンタカーにこの二日半お世話になったレンタカーを返却。この時点で、19時ちょうどであった。それから、二人で近くの居酒屋に入り、2時間半ほど飲みながら歓談。彼のことは大体知っているつもりであったが、彼が海釣りが趣味で、それが昂じて二級小型船舶操縦士免許をとっているとは知らなかった。小型船を借りて、よく沖釣りに行ったそうだ。沖釣り用の小型船を購入しようかとも、考えている由。いろいろな話で盛り上がり本当に楽しいひと時を過ごすことができた。名残惜しいが、9時半ごろに天神で彼と別れて、私はタクシーで宿泊の「コートホテル博多駅前」に戻った。


23日の宿泊の
コートホテル博多駅前
M君と













 これで、友人と会う計画をしていたものは、すべて予定通り無事終了したことになる。ところが、明日の朝、福岡空港でビッグサプライズが待ち受けていた。


2013.5.16
   Yukikaze



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