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記念撮影(3枚のうちの1枚) |
OB会の会場および宿泊の ホテル天地閣 |
日立工場と特急「スーパーひたち」 (ホテル天地閣より) |
太平洋と日立バイパス (ホテル天地閣より) |
その日は、会場となったホテル天地閣に宿泊。あくる日(5月25日(土))は、ホテル天地閣から歩いて7分~8分のJR日立駅に行ってみたが、大変な変わりようで驚いた。いわゆる「橋上駅」なのだが、外から見ても連絡通路がガラス張りのモダンな造りになっている。連絡通路の張り出しの先には太平洋が一望できるロビーと喫茶室が設けられている。駅前の大通り(平和通り)はと当時から桜並木があったが、桜の若葉が美しい。43年前に初めて日立駅に降り立った時は、この平和通りは桜並木の桜もさほど大きくはなく、道路はまだ舗装もされておらず土埃が舞い上がるでこぼこ道であった。日立に来た第一印象は、正直ウエスタンに出てくる「西部の町」に降り立ったような感じであった。また、駅前にはイトーヨーカドーが出来ており市内一の繁華街のはずであるがなぜか閑散としている。
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新日立駅全景 |
日立駅前 |
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駅ロビー |
ロビーからの眺め 日立バイパスが眼下に見える |
橋上駅連絡通路(動く歩道もある) |
連絡通路の張り出し部分(ロビーと喫茶室) |
日立駅前通り(平和通り) |
駅前のイトーヨーカドー横の通り |
そのあと、25年を過ごした日立市をレンタカーで回ってみた。入社時に3年余りを過ごした「知新寮」は外観はもとのままで健在、新婚時に6年ほどお世話になった成沢(なるさわ)アパートは私が住んでいた棟はなくなって更地になっていたが、隣の棟は今でも何世帯かの人が住んでいるようだ。
今の「知新寮」 |
私住んでいたのアパートの跡地 |
私のアパートの隣の棟 (まったく同じ作り) |
次に行ったのは、日立市を離れる前の11年間住んでいた日立工場の社宅・会瀬(おおせ)社宅。会社の自席まで歩いて10分程度の便利な場所にあった。当時はたくさんの社宅が軒を並べていたが、今は社宅の建屋そのものは全くなくなって、面積の3/4は新しい家が立ち並んでおり、私たち家族が住んでいた建物あとの周り一帯だけがまだ更地のままで草が生い茂っていた。私が少年時代を過ごした大牟田もそうであったが、ここも住んでいたころの名残は全くなくなっていた。
11年間住んでいた社宅の跡地(1) |
11年間住んでいた社宅の跡地(2) |
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社宅ありし日の風景 |
そのあと、神峰(かみね)公園に行ってみた。ここは、市の北部にあり、ちょっと小高い丘になっている。公園内には、遊園地や動物園などのレジャー施設もあり、頂上には二階建ての展望台もある。展望台からは日立市の中心部が一望できる。ここの公園には、子供たちを連れてよく遊びに来たものだ。また、公園内には、私がいたころにはなかったが、地元出身の作曲家・吉田正の記念館が出来ていた。
かみね公園の案内図 |
展望台から日立市中心部を望む |
友好都市のアメリカのバーミングハム市 から送られた「バルカン像」 |
展望台 |
吉田正音楽記念館 |
吉田正の胸像とマネキン |
次は、私が住んでいた当時日立市の一番の繁華街であった「日立銀座通り」に行ってみた。ここも、大牟田の銀座通り程ではないにしても相当の寂れようだ。土曜日だと言うのにほとんど人通りがない。
その次はJR常陸多賀駅に行ってみた。ここは、以前とあまり変わっていない。常陸多賀駅前通りは以前から、電信柱がなく非常にすっきりしたあか抜けした通りであり、私の好きな場所でもあったが今回来てみても印象は同じであった。
常陸多賀駅前 |
常陸多賀駅前通り |
そのあと、日立市の南部にある「みかの原団地」に行ってみた。ここには、私が成沢アパートを出て会瀬社宅に移るまでの5年ほど住んだ家が残っている。しかし、私が出た後に入った人もいずれかに転居してしまい、家そのものは荒れ放題になっていた。さびしい限りである。
かって住んだみかの原団地の家 |
以上、水車のOB会に出席したついでに、思い出の場所をレンタカーで駆け足で回ってきた。日立も人口が減少に転じているようで最盛期には21万人ぐらいだったと記憶しているが、今は19万人を切っているそうだ。日立の銀座通りや駅前のイトーヨーカドーを見ても、元気がない。大牟田は、炭鉱が閉山してしまったので人口も約半分になってしまったが、日立の場合は、日立工場(今は、日立事業所というみたいだが)がなくならない限り大丈夫だとは思うが、これも日立製作所の思惑でどうなるか分からない。現に、私が奉職をした水車の部門は一昨年、三菱の水車部門と合体し、日立製作所から独立した「HMハイドロ」という別会社になっているし、火力部門も三菱との合体で別会社になっている。まさに、「一寸先は闇」であるが、日立の重電部門が勢いを盛り返し、日立市に昔の活気がよみがえることを願い祈るばかりである。
2013.5.27
Yukikaze
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