2012/12/26

短歌・俳句の風景 -その124(2012.12.26)

今回は、宮柊二の有名な歌です。

『 昼間見し合歓(かうか)のあかき花のいろをあこがれの如くよる憶ひおり 』












  こういう経験はだれしもあるのではないか。 花でなくても風景とか、動植物、あるいは他人のちょっとした仕草とかいろいろあるかもしれない。 夜ふとんに入って、今日一日の事を思いめぐらすのもよくあることである。 また、それに次々と連想がつながっていき結局なかなか寝付けなくなったこともある。
  合歓は、夏に刷毛のような花を咲かせ、和名のネム、ネブは、夜になると葉が閉じること(就眠運動)に由来し、漢字名の「合歓木」は、中国においてネムノキが夫婦円満の象徴とされていることから付けられたものだそうである。 
  この歌は、高野公彦が、「作者が合歓の花を追憶しつつ、それと重ね合わせるように一人の女性の面影を思い浮かべているような気配を感じる」と評している。 また、「暗くはない静かな抑圧された青春の情熱を感じさせる秀作である」という評もある。 いずれにしても、陰影・含蓄のあるいい歌であると思う。

2012.12.26
    Yukikaze


2012/12/22

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.12.22)

昨日12月21日(金)、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第18回目の短歌教室があった。


(1) わが庭に猛暑厳冬咲き続くなでしこ愛(め)でて「おしん」をしのぶ

  先生曰く :真夏から真冬まで本当に咲き続けているのか? 
   なでしこはそんな長持ちはしないはずだ
   秋に植えたのではないか
  答えて曰く : 本当に咲いています
   今年の春に植えたのがずっと咲き続けています
   自分でも不思議に思っています

→ → → → 我が庭のなでしこは、おしんしのばせて真夏も真冬も咲き続けいる

→ → → → 我が庭のなでしこは、おしんしのばせて夏も真冬の今も咲き続けいる



(2)蒐集せる満州国の古切手見つつその民の苦難を思う

  今回の3首のうちではこの歌が一番いい  
  「蒐集せる満州国の古切手」とすると、満州の切手のみを収集しているようにも読める。
  この際、「蒐集せる」は取ってしまったほうがよい

→ → → → 満州国の古き切手を眺めつつ当時の民らの苦難を思う



(3) 幸せを運ぶがごとくにこにこ(2525)のナンバー持てる車続けり

  にこにこ(2525)の意味がわからない
  → 2525をにこにこと詠んだものです 
    2525ナンバーの車が2台立て続けに来たので詠んだものです 
  
  それなら、2525としてにこにことふるがなを付けること

→ → → → 幸せを運ぶが如き2525(にこにこ)のナンバーの車二台も続きゆく




そのほか、自分の歌ではないが印象に残ったものを一つ

Mさんの歌
  「 公園にイルミネーションきらめきてLEDの青寒々と見ゆ 」

先生 : このままでは、冬なのかどうかがわからない
  どうせ詠むなら、年末の感じを出したほうがよい
  LEDとか青とか言うのは冬のイルミネーションなら当たり前ではないか

→ → → →  公園にイルミネーションきらめきてなにか気忙(きぜわ)しく年暮近づく



2012.12.22
 Yukikaze



2012/12/20

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.12.20)

12月21日の短歌教室用として下記の3首を提出した。


(1) わが庭に猛暑厳冬咲き続くなでしこ愛(め)でて「おしん」をしのぶ

小さな庭といっても家の片隅の「スペース」であるが、今年の春に買ってきて植えたなでしこが初夏から今年の猛暑と今冬の厳寒を耐えてずっと咲き続けている。
なでしこが、こんなに長く咲き続けるとは全く思わなかった。




(2)蒐集せる満州国の古切手見つつその民の苦難を思う

切手蒐集は私の小さい時からの趣味であるが、社会に出て忙しくなってからはあまり熱心にはやっていない。 しかし、いつも「そのうち再開させたい」と思いつつ今まで
本気での再開には至っていない。 新しい切手にはあまり興味はなく、古い、戦前や特に19世紀の切手が収集の対象であるが、歴史や地理の勉強にもなる。 本気で近々再開させたいと思う。
 


     
       
























(3) 幸せを運ぶがごとくにこにこ(2525)のナンバー持てる車続けり

2525ナンバーの車は、ときどき見かけるが、つながって走っているのは初めてであった。
 


2012.12.20
       Yukikaze



2012/12/19

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.12.19)

先週の金曜日12月7日(金)、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第17回目の短歌教室があった。


(1) すでに亡き妻に届きぬ美容院の新装開店告げし絵はがき

・ 一つキズがある。何か。「告げし」は過去形、ここは「告げる」とすべき
・ 前半と後半を入れ替えたほうが分かりやすくなる。

→ → → → 新装開店告げる美容院の絵はがきが妻に届きぬすでに亡き妻に 
・ このように、言葉を繰り返えすことによって気持ちがつよくなり、思いがこもった歌になる
場合もある


(2) 路地裏に声あらあらと聞こえくる親を叱ると知りてわびしき

・ 「あらあらと」という言葉はない。 言うなら「あらあらしく」とすべき
・ このままだと「聞こえ来る」が次の「親」にかかるようにも読める
・ 「わびしき」などという言葉はなるべく使わないようにすること

→ → → → あらあらしく老いたる親を叱る声筒抜けに聞こゆ夕べの路地より

・ 「夕べ」が「朝(あした)」では歌にならない。 ここは、「夕べ」とすべき
・ 「夕べの路地より筒抜けに聞こゆ」では説明的になってしまい不可


(3) 亡き息子が隣の主婦の夢に顕(た)ち腹すかしいると告げしとぞ聞く

・ 「亡き息子が」の「が」は不要
・ 「告げし」という言葉はかたい感じがする
・ 息子を「吾子」トするのはどうか → → → そんな古臭い言葉は使わないほうがよい

→ → → → 隣の主婦の夢に顕ちたるわが亡き息子腹がすいたと洩らしたという

→ → → → 腹がすいたと洩らしたという隣の主婦の夢に顕ちたるわがなき息子
→ → → → 腹がすいたとわが亡き息子隣家の主婦の夢に顕ち洩らしいしとぞ

最後に、「詞書きは出来るだけ不要とするように、短歌のみで分からせるように努力
すること」とのお話があった。



2012.12.19
    Yukikaze



2012/12/05

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.12.5)

12月7日の短歌教室用として下記の3首を提出した。


(1) すでに亡き妻に届きぬ美容院の新装開店告げし絵はがき



新装開店の美容院
妻に届いた案内はがき



左上は、実際に届いた案内のはがきです


(2) 路地裏に声あらあらと聞こえくる親を叱ると知りてわびしき

路地裏



(3) 亡き息子が隣の主婦の夢に顕(た)ち腹すかしいると告げしとぞ聞く


サシバの渡り
昨日、偶然に道で出会った隣の奥さんから聞いた本当の話です。 水臭いなぁ~、息子よ  毎日ご飯、おかず、お茶はちゃんとお供えしているはずなのに、お腹かがすいているのなら なんで私に直接言わないんだ、と思った次第です。三回忌の法要は先週の土曜日にちゃんとやったんだけどなぁ~。 私の供養がまだ足りないのか。 

2012.12.5
 Yukikaze

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.12.5)

先週の金曜日11月30日(金)、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第16回目の短歌教室があった。


(1) 言い逃れ来て一人飲む居酒屋に忘れかねたる国なまりきく

・ 前半部分と後半部分とでそれぞれ単独の歌になる。
 もうちょっと内容を整理・単純化して2つの歌にしたほうがいいのではないか。
・ 「言い逃れきて」は不要。 もし入れるとすれば、何を言い逃れてきたのか、唄いこんだほうがよ  
 い。 「言い逃れきて居酒屋で飲む」だけで一つの物語になる。
・ 「忘れかねたる」という表現は感心しない。
 忘れようとしてもどうしても忘れられない、という表現にすべき
・ 「忘れかけたる」はどうですか → → →  もっと悪い
・ 「苦き思い出あまたあるゆえ忘れがたきふるさとのなれど忘れかねざる」といううたもある。

→ → → →  居酒屋で一人飲みつつなつかしきわがふるさとのの国なまりり聴く 

→ → → →  酒飲まぬかと誘われたれど断りて居酒屋のすみに一人来ており




(2) その母とその父若く手をつなぐ子はハミングしつつスキップしており
・ 何の歌ををハミングしているのか、今の季節なら、ジングルベルとか
・ この内容では、風景が見えない。 季節感も出ない

→ → → → ジングルベルをハミングしつつ幼子が若き父母と手をつなぎゆく

  

(3) 永眠という語のもてる厳しさを欠礼通知書きつつ思う

・ 今回の、3首のうちではこれがベスト
・ ただ、「厳しさ」という表現がちょっとしっくりこない

→ → → → 年賀状の欠礼はがき書きながら一人残されし寂しさ思う

→ → → → 賀状欠礼はがき書きつつ「永眠」なることばの重みつくずくと思う

→ → → → 「永眠」という語で死にしことを言う言葉の重さふとしも思う


今回もいろいろ言われて大幅に修正させられてしまった。

総評(受講者全員への)として、下記のお話があった。
1.歌おうとする対象が、歌になるのか、難しいのかよく検討してから仕事に取り掛かること
2.「書の道の果てなきことを思いつつ」という歌があったが、この「果てなきこと」という表現は、
 「通俗的」言いかえれば観念的であって中身がない。たとえば、道端の小さな花を見たときに、き
 れいだ、と感じたような一寸した事を詠みこむように努力、工夫をすること。
3.とにかく、観念的な内容にならないようにすること。
 ただし、観念的であっても「哲学的」に深める努力をすること。 常にそのことを深く考え思って
 いれば、自然そのようになっていくと思う。
4.感じた事をよく感じ、よく考え、考えた事を深めていく事を常に考え、心に留めておくこと
5.感じたこと(感覚)をよく考え(思考し)、考えたことを深めていく作業が「哲学」である。
 哲学的なことを感覚に戻して詠んでみる、という姿勢を持つこと。
6.姿勢として、「思考を深める」、「人生を深く考える」ことを継続していくこと。 
 俳句ではこういうことが出来ない。

今回は、作歌上の心構え、姿勢についての貴重なお話を頂いた。


2012.12.5
  Yukikaze


2012/12/01

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.11.28)

11月30日の短歌教室用として下記の3首を提出した。



(1) 言い逃れ来て一人飲む居酒屋に忘れかねたる国なまりきく


(2) その母とその父若く手をつなぐ子はハミングしつつスキップしており


(3) 永眠という語のもてる厳しさを欠礼通知書きつつ思う


2012.11.28
  Yukikaze

2012/11/23

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.11.22)


先週の金曜日11月16日(金)、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第15回目の短歌教室があった。

今回もいろいろ言われて大幅に修正させられてしまった。

(1) 鎌のごとき月天心にかかりいて烏が鳴かず飛ぶは淋しき

「鎌のごとき」は通俗的。「利鎌(とがま)のほうがよい。」「月天心に・・・」は大げさすぎるし漢詩的な表現であり短歌には向かない。「烏」は「鴉」と書くほうがよい。また、「烏」とあるが本当にカラスだったのか。ちゃんと見たのか。などいろいろ問題がある、と。

→ → → →  利鎌なる月かかりいるさむき夜鴉らしき鳥横ぎり行けり 



(2) ひさかたの月の光にわたる雁の数さえ見えて秋深みゆく

中世の歌みたいだ。「雁」は「がん」と詠んだほうがよい

→ → → →  秋の月光る夜空を渡りゆく雁(がん)数羽あり時に鳴きつつ



(3) 秋ふかむ日本(やまと)を出でしサシバらに再び会わむ霞(かすみ)立つころ

霞なんか言う表現は、やはり中世の趣だ。現代短歌として詠むこと。

→ → → →  秋深き筑後の空をサシバらの群れか南を指して飛びゆく


今回は「 うーん 」 という感じ。


2012.11.22
  Yukikaze


2012/11/15

短歌・俳句の風景 -その123(2012.11.15)

今回は俳句です

『 鷹の眸(め)の人を許さじ檻の中 』

さいたま市のH.H.さんの作です


檻の中の鷹
鷹の目













「鵜の目鷹の目」という言葉があるが、鷹の目の鋭さには驚かされ、一瞬たじろいでしまう何かがある。その鷹が自分を捕らえ檻に閉じ込めた人間に対する鋭い目つき。将に「人を許さじ」という強い意思がこめられているようにも見える。大きく言えばそれ以上の意味を持たせることもできるかもしれない。

2012.11.15
Yukikaze

 

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.11.15)


11月16日の短歌教室用として下記の3首を提出した。

今回は趣向を変えて「鳥」に関するものを詠んでみた。


(1) 鎌のごとき月天心にかかりいて烏が鳴かず飛ぶは淋しき


 
      

                  
(2) ひさかたの月の光にわたる雁の数さえ見えて秋深みゆく


月と雁の渡り1
月と雁の渡り2


(3) 秋ふかむ日本(やまと)を出でしサシバらに再び会わむ霞(かすみ)立つころ



サシバ
飛翔するサシバ

サシバの渡り
 

2012.11.15
    Yukikaze



2012/11/07

短歌・俳句の風景 -その122(2012.11.7)

今回も短歌です

『 荒寥の海へたどりてゆく小径癌センターの待合室の絵 』

 新潟市のN.T さんの作品です。


きりたっぷ岬


断崖の海 
 
  癌センターの待合室に掲げられている絵としてはあまり適切だとは思えない。 せっかく、癌センターに来ているのにそのような侘しい絵がかかっている待合室で待たされるとは、あまり愉快なものではないだろう。 しかし、短歌の情景としては理解できないことはない。

2012.11.7
 Yukikaze
 
 
 

2012/11/05

日々の風景 -子抱き土偶(2012.11.5)

10月22日に、八王子にある「南多摩高等学校」を訪問し、「子抱き土偶」を見せてもらった。

子抱き土偶については、パソコンで検索するといろいろ出てくるが、その代表的なものを引用しその紹介としたい。

『 今から40年ほど前の昭和43年8月、当時南高3年生で地歴部の菱山剛秀君が、八王子市川口町の宮田遺跡から発掘した「子抱き土偶」。
  今から約4,500年前の縄文時代中期のもので、乳児を抱いた土偶はとても珍しく、日本で初めての発見でした。
首から上が欠損しており、現存する高さは71mmと小さく、母親が幼子を抱いて横座りするその姿は、安産祈願の崇拝物なのでしょうか。
 この「子抱き土偶」は歴史教科書でも紹介され、日本の貴重な文化財として、最初は上野の国立博物館・考古館に展示されていましたが、現在では千葉県佐倉市の国立歴史民族博物館で実物を見ることができます。
 
 また、母校には、母親の頭部を復元したこのレプリカが寄贈されています。
さらに、八王子市の「郷土資料館」にも、レプリカが展示されていますが、頭部はありません。 』

ということで、今年の8月9日に八王子市の「郷土資料館」で頭部がないレプリカを、10月22日に、「南多摩高等学校」にある頭部を推定復元したレプリカを見せてもらってきました。
郷土資料館のもの2
南多摩高等学校
郷土資料館のもの1
南多摩高等学校のもの1
この土偶は高さが7センチ足らずの本当に小さなものですが、4500年前も今と同じように、母親が横座りをして乳児に乳を与えているこの姿に、私は心から感銘を受けました。 親が子をあやめ、またその逆の事件が頻発している昨今ですが、このような昔から受け継がれている我々のDNAを再認識したいものだと、改めて思った次第です。

2012.11.5
  Yukikaze


短歌・俳句の風景 -その121(2012.11.5)

寺山修二の歌です。

『 ころがりしカンカン帽を追うごとく故郷の道駆けて帰らん 』


カンカン帽


この歌はなぜかしら郷愁を感じさせます。 風に飛ばされたカンカン帽、これは追いかけざるを得ない。故郷を離れて人生の荒波にもまれているとき、また何かの折に無性に故郷が懐かしくなる時もある。そのようなときに、何も考えずにとにかく故郷に飛んで帰りたい、という心情をうまく表現しており、好きな歌の一つである。

2012.11.5
  Yukikaze
 
 
 

2012/11/04

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.11.4)

先週の金曜日11月2日(金)、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第14回目の短歌教室があった。

(1) 共感し日々教えらる新聞の人生案内よき道しるべ

 杜澤先生曰く、「和田さんは、新聞の人生案内欄に、本当に毎日共感し、かつ教えられているのですか」と。 「もうその年になって、『毎日共感し、かつ教えられている』というのでは、ちょっと困る。人生案内の解答にもずいぶんひどいものも多いように思うがどうですか」と。

→ → → 新聞の人生案内に教えられ共感することも時々はある

(2) 失いしもの嘆くより得しものの大事さ思えと回答者言う

 「回答者」が何の回答者かが分からない。

→ → → 失いしもの嘆くより得しものの多さを思えとおのれを叱る

(3) 人生の損得勘定はほぼ零(れい)と諭しし回答うなずきて読む

 これも何の回答か分からない。また、零は常識的には「ゼロ」と読むべき

→ → → 人生の損得勘定はほぼ零(ゼロ)に均しと人生案内にあり

先生の言われるように、一番最初の歌がなければ一首目、二首目の回答
が、何の回答か分からない。仰せごもっともであり今後よく気をつけたい。


2012.11.4
 Yukikaze

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.11.4)

11月2日の短歌教室用として下記の3首を提出した。

 新聞の「人生案内」欄は毎日欠かさず読んでおり、それを題材に詠んでみた。
中には当たり前のことやちょっとズレた回答もあるが、概ねいいことを言っており、
参考になることが多い。

(1) 共感し日々教えらる新聞の人生案内よき道しるべ

(2) 失いしもの嘆くより得しものの大事さ思えと回答者言う

(3) 人生の損得勘定はほぼ零(れい)と諭しし回答うなずきて読む

2012.11.4
  Yukikaze

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.11.4)

先々週の金曜日10月19日(金)、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第13回目の短歌教室があった。

(1) 古きよき時代のありき「酋長の娘」という歌聞くにつけても

 杜澤先生にとっては、このような歌を聞いても「古き良き時代」どは思わない、とのこと。「和田さんはこの歌がはやった時代を知らないから、このような歌を作るのではないか」、「酋長の娘」なんかよりも、「赤とんぼ」にしたほうがいい、と。

→ → → 昭和初期にはやりし「酋長の娘」という唄聞くにつけ昔懐かし


(2)母の手に果てしおみな子の悲しみをわがことのごとかなしみ嘆く

  「わがことのごとかなしみ嘆く」というのは、あたり前。もう少しダイレクトに言ったほうがいい。

→ → → 母の手に殺されしおさなきおみな子の悲しみ思う、言わんかたなし


(3)昨夜また逝きし息子が夢に顕つ暗き黄泉路を行きなずむらし

 「行きなずむらし」は別の表現にできないか。たとえば、「何か聞きたくなったとか」。

→ → → 逝きし息子が昨夜の夢にまた顕ちぬ暗き黄泉路を行きなずめるか


今回の歌は自信を持って提出したが、先生の感覚には合わない部分が少々あったようだ。

2012.11.4
  Yukikaze

2012/10/22

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.10.17)

10月19日の短歌教室用として下記の3首を提出した。

(1) 古きよき時代のありき「酋長の娘」という歌聞くにつけても

 昭和のはじめごろの歌に「酋長の娘」というのがある。日本の演歌師である石田一松(1902-1956年)作詞・作曲・歌唱による歌謡曲であって、1930(昭和5)年8月発売。前年創立されたポリドール最初のヒット曲だそうである。

わたしのラバさん 酋長の娘

色は黒いが 南洋じゃ美人

赤道直下 マーシャル群島
ヤシの木陰で テクテク踊る

以下略

この歌は今から見ると、差別的な表現がある、云々の批判もあるようだが、ゆったりとスローテンポで歌っていると、本当に「古きよき時代」という感じが伝わってくる。大変好きな歌です。

マーシャル群島の浜辺
マイシャル群島の環礁


やしの木陰で踊る
 
酋長の娘















(2)母の手に果てしおみな子の悲しみをわがことのごとかなしみ嘆く  

 昨今、親が子を殺したりその逆のニュースが毎日のように新聞をにぎわしている。このようなことは何も今に始まったことではなくずっと昔からあったそうではあるが、それにしても、親しか頼る者のいないいたいけない実の子をゴルフバットで殴り殺すとは信じられなくやりきれない思いである。

母子群像
親子藤

(3)昨夜また逝きし息子が夢に顕つ暗き黄泉路を行きなずむらし

 亡くなった次男の写真を見て次男を思い出すたびに、このような思いにかられる。

サシバの渡り



2012.10.22
 Yukikaze

2012/10/10

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.10.10)

先週の金曜日10月5日(金)、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第12回目の短歌教室があった。


(1) 「喜びも悲しみも幾歳月」を少年の日にときめきて見き

杜澤先生曰く

1.「喜びも悲しみも幾歳月」では映画かどうかわからない
2.この映画は、人生の苦節・哀歓を描いたものであって、少年がときめきて見る様なものではないと思う
3.「喜びも悲しみも幾歳月」を読み込むのは長すぎて無理がある。「灯台守の映画」でわかるのではないか

→ → → 灯台守の映画見てより灯台守にならんとあこがれし少年の日よ


(2) 「故郷の空」ハーモニカで吹けばうぶすなを小高き岡よりみはらすごとし

1.今は、 「故郷の空」といっても分からない人も多いのではないか。「故郷」や「旅愁」
  と混同する人も多いかもしれない。
2.「うぶすな」といっても、読む人にはどこだか分からない。
 
→ → → ハーモニカで「故郷の空」を吹きながらはるか九州の秋空おもう


(3) デコイチが急坂あえぎ登りくるを粛然として肥薩線に見し


1.「デコイチ」ではなく「デゴイチ」が正しい
2.「デコイチ」では分からない人が多いのではないか。 D51と書いて、「デコイチ」とふり仮名をつけるのがいいし、出来れば「機関車D51」と書けばなおいい。
3.喘ぎながら登ってくるのを「粛然と」見るものか。
4.肥薩線というのは不要
→ → → D51(デゴイチ)が山坂勇ましく登りくる姿にあこがれきわが少年期

5.「あこがれき」であって「あこがれし」ではない。いったんここで切れる。



今回の先生の添削には素直にうなずけないこともあった。
1.別に「うぶすな」の所在地を明示しなくてもいいのではないかと思う
2.「うぶすな全体を見はらしているような感じがする」というのを詠んだつもりだが、添削ではその感じがまったく出ていない
3.私がパソコンで検索した時は「デゴイチ」ではなく「デコイチ」が正となっていた。
4.あえぎながら肥薩線の急坂を登ってくるデコイチを見た時粛然とした気持ちになった、というのがこの歌の趣旨であるが、添削ではその感じが亡くなっている。


10月10日
  Yukikaze


2012/10/05

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.10.3)

10月5日の短歌教室用として下記の3首を提出した。


(1) 「喜びも悲しみも幾歳月」を少年の日にときめきて見き


映画のポスター
銅像





記念碑の歌詞

塩谷埼灯台
足摺岬灯台










大瀬崎灯台その1

大瀬崎灯台その2











(2) 「故郷の空」ハーモニカで吹けばうぶすなを小高き岡よりみはらすごとし

故郷を見はらす岡でハーモニカを吹く
「故郷の空」の歌詞








     


(3) デコイチが急坂あえぎ登りくるを粛然として肥薩線に見し

デコイチ(D51蒸気機関車)その1
 
デコイチ(D51蒸気機関車)その2
 

2012.10.5
    Yukikaze



2012/10/01

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.10.1)

先週の金曜日9月28日(金)、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第11回目の短歌教室があった。

(1) 美しき一本勝ちにこだわりし日本柔道ガラパゴス化す

杜澤先生の添削は、
→ → → 一本勝ちにこだわり来る日本柔道我武者羅流と堕してしまえり

どうも先生は「ガラパゴス化」の意味を反対に取っているようにお見受けした。

(2) オリンピック選手は誰もが一様に「みんなのおかげ」判おすごとし
先生の指摘は、(1)これではどこの国の選手かわからない (2)すべての選手ということではなく、メダリストではないか (3)ある一つの所も国着眼して詠むのがいいのではないか  (4)メダリストの謙虚さ、丁寧さを詠みこむのがいいのではないか
ということで添削をしてもらえなかった。

(3) 優勝を巨人が決めし翌週はアンチ巨人のわれはスランプ
 「翌週」という表現がよくない
→ → → ジャイアンツが優勝決めてより後はアンチ巨人のわれは全てがスランプ


2012.10.1
  Yukikaze

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.10.1)

9月28日の短歌教室用として下記の3首を提出した。


(1) 美しき一本勝ちにこだわりし日本柔道ガラパゴス化す。
 今回のロンドンオリンピックにおける日本柔道の成績は芳しくなかった。いろいろ言われているが、柔道というスポーツそのものが発祥は日本であるが、いまや世界共通のスポーツになっており、その認識が日本の柔道界に足りず、「柔道はこうあるべきだ」という唯我独尊的な発想があったのではないか。日本の携帯電話の「ガラパゴス化」ということがよく言われるが、柔道も全く同じ様に思える。 

一本勝ち

(2) オリンピック選手は誰もが一様に「みんなのおかげ」判おすごとし
 ロンドンオリンピックの日本選手はインタビューにたいしてほとんど全員が「みんなのおかげ」的な発言をしていた。


 
 
 
(3) 優勝を巨人が決めし翌週はアンチ巨人のわれはスランプ
 
 巨人の原監督は、私の生まれ故郷である福岡県大牟田市の出身であるが、私はもともとアンチ巨人である。もう半世紀も前の大学生のころだと思うが、「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉がはやった。小学生ぐらいの子供が好きなものをごろよくならべたものであるが、「子供と一緒にされてたまるか」という思いがあったのと、周りが、とくに東京に出てきてからは猫も杓子も「巨人、巨人」で「巨人ファンにあらざるものは人にあらず」的な雰囲気に反発した面もある。

平成24年巨人リーグ優勝
 
2012.10.1
  Yukikaze



2012/09/23

日々の風景 -短歌教室(添削)(2012.9.23)

先週の金曜日9月21日(金)、浦和ロイヤルパインズホテルB1Fで「よみうりカルチャースクール」の第10回目の短歌教室があった。
(1) さきたまは魂幸(たまさち)し国神々の熱きドラマに思いをはせる
 
 ・ 日本語には「魂幸し(たまさちし)」などという言い方はない
 ・ 「神々」と言っても一般の人には何のことかわからない

→ → 「 幸魂(さきたま)は語源と知りてよりさいたまはますます好きになりて来たりぬ 」

(2) さきたまの荒ぶる神や乎獲居臣(おわけおみ)倭(わ)の大王(おおきみ)と山河駈けしか

 ・ 誰でもが分かる内容にすること

→ → 「 鉄剣に金字で彫られし乎獲居臣(おわけおみ)倭(わ)の大王(おおきみ)とはいかなる神ぞも 」

  ・ 「ぞも  」は、「 ・・・かな~ 」という意味

(3) 稲荷山に永久(とわ)に眠れるヒーローの一代(ひとよ)を想い墳丘見上ぐ
 ・ もう少し広がりと潤いのある詠みかたを工夫すること

→ → 「 稲荷山古墳に永久に眠りいる王の一代に想いめぐらす 」

いろいろ言われたが、おおむね納得
指摘されたことは、今後に反映させたい

2012.9.23
   Yukikaze


2012/09/20

日々の風景 -短歌教室(提出)(2012.9.19)

9月21日の短歌教室用として下記の3首を提出した。

 もう半年も前になるが、今年の3月15日に「さきたま古墳群」を見に行き、その時の様子は6月1日のブログで紹介した。今回はこの「さきたま古墳群」、とくに将軍山古墳と稲荷山古墳について感じたところを短歌にしてみた。1500年も昔のことで、当時の正確な記録などはなく、日本書紀に、当時の武蔵の国で豪族間の争いがあったことが垣間見えだけであるが、さきたま古墳群の前に立つとなんとなく想像がかきたてられる思いがしました。
 将軍山古墳では、半島由来と思われる武具が多数出土し、稲荷山古墳からは時代が特定できる文字記録としては日本最古の「金錯銘鉄剣」が出土しており、この地が一大文化圏であったことが予想される。

(1) さきたまは魂幸(たまさち)し国神々の熱きドラマに思いをはせる


さきたま古墳群 めざせ世界遺産

 
ガイドブック さきたま
さきたま古墳群の配置
さきたま古墳群



(2) さきたまの荒ぶる神や乎獲居臣(おわけおみ)倭(わ)の大王(おおきみ)と山河駈けしか

将軍山古墳の埴輪
将軍山古墳










将軍山古墳の将軍

 


武具の説明図












(3) 稲荷山に永久(とわ)に眠れるヒーローの一代(ひとよ)を想い墳丘見上ぐ

稲荷山古墳後円部への階段
稲荷山古墳
金錯銘鉄剣


稲荷山古墳の埋葬施設


2012.9.19
 Yukikaze